振り返ってみるとゾンビアタックのような人生だったなぁ【発達障害メモ】

発達障害の人生 考えかた

ふと、過去の自分を振り返るときって誰にでもあるはずだ。

私はそのたび「よくここまで生きてこれたものだなぁ」としみじみ思う。

思えば恥の多い人生でした……みたいなネ。

発達障害をもって生まれた時点で、まあ「失敗することが約束された人生」と言っても過言ではないだろう。

「失敗するとわかっていたら、あんな無謀なことは最初からやらなかったさ!」と思うことは数知れない。

「挑戦することが大切なんだ!」とか「努力することに意味があるんだよ!」

なんて無責任な言葉に踊らされた結果はまあ悲惨なものだ。

突っ込んでは挫折し倒れ、また起き上がってまた失敗しては倒れ、また起き上がって突っ込んでを繰り返す、まるでゾンビのようなものだったと思う。

べつに挑戦すること自体が悪いというわけではないが、分不相応なことをすれば失敗するわけで、発達障害もちの私にとって不相応というのは「普通の人と同じことをする、普通の人と同じ結果を求める」ことに違いない。

なんとも残念至極な人生である。

スポンサーリンク

積み上げられない人生ですが

考えてみてほしい。

普通の人は人生をコツコツと積み上げていく。

それはもう賽の河原で小石を積み上げるかのように。

そして「私はこんなに高く積めたんだぜ!」みたいに思うわけだ。

まあ普通の人ならそれでいいのだが、しかし、私たちのような発達障害の人生というのは、まず積み上げては崩れ、積み上げては崩れ、それをなんども繰り返すことから始まる。

周りの人はどんどん高く積み上げていくのに、自分の石はすぐに崩れて全然高く積めない。

そうしてようやく「ああ、自分は積み上げることができない人生なんだな」と悟るわけだが、そうしたら今度は「じゃあこの先どうすりゃええんかいのう?」と途方にくれるわけですヨ。

だって積めない人生なのだもの。むしろ詰んでる人生なのだもの。

けれど困ったことに、人生はまだまだ先が長い。

悟ったはいいけど、それじゃあ石を積むのをやめて後は寝て過ごすというわけにもいかない。

とりあえず石を積むという拷問からは逃げられたけど、何もしないを続けるのも同じぐらいな拷問だ。

疲れてるときは「暇がほしぃ」と思うけど、いざ本当に暇になったら「暇すぎて辛いぃ」となるのが人間だ。

やはりある程度の張り合いみたいなものが人生には必要なのだろう。

けどだからといって、また石を積む作業をしたところで結果は目に見えている。

同じ轍を踏んじゃいかんわけですからして。

とりあえず石を投げてみるとか、横に並べてみるとか、とりあえずなにかしらやってみることからは始めなきゃいけない。

とはいえ、それで万事上手くいくわけもなく、私の人生は相変わらずままならねぇ。

無理無謀なことはしなくなったけど、それでも四苦八苦な人生。

たぶんこの先もそんな人生が続くのだろうなぁと思いつつ、私はなんとか今日も生きています。

まあ先は長いのだ、気張りすぎないでいこうや

コメント

  1. fooliar より:

    仕事で悩んでてみかけて読んだら私がいる。。。。
    お互いにご自愛していきましょう・・・

    • ぼんた ぼんた より:

      私たちのような人間は「自分に優しく」でちょうどいいのです。