人を許すのです。そうすればあなたも許されるのです………………………………なんちゃってネッ!!
なんとなく、それっぽいことを言ってみたけど全然意味がワカラン!!
だって許せないんだもの。どうしようもなく許せない。私は人を許せんのです。
電車のホームで横入りする奴が許せない!(こらあァッ!)
閉じた傘を後ろに突き出しながら持つ奴が許せない!(危ねえだろうがッ!)
買い占めする奴が許せない!(私が買えんだろうガッ!!)
私の前後を同じ速度で歩く奴が許せない!(なんか一緒に歩いてるみたいになるじゃろうガァッ!)
あぁ……世の中はこんなにも“許せない”ことで満ち溢れている。
私が病的に人間嫌いなのは、もはや周知の事実であるところだが、その原因の一端は私の神経質な性格に依るところが大きい。
他人の間違いに対して極度に反応してしまう、潔癖症が汚れを許せないのと同じだ。私は些細な間違いだって許せない。
もちろん人間嫌いの原因には「他人と関わると嫌な思いをする」「普通の人と感性・価値観が違いすぎて一緒にいるとストレスを感じる」という経験も起因しているのだが……
それらを分解してみると「私の価値観を否定した奴が許せない!」「私にストレスを与えた奴が許せない!」ということになる。
許せないから負の感情はいつまでも消えずに残り、汚泥のように私の心に溜まってゆくのだ。
私は人の間違いを許せない”正義の人”
ここで一つハッキリさせておくべきなのは、なにをもって”間違い”とするかだ。
立場が違えば正しさも変わるわけで、それじゃあ私は何を基準に正しさを判断しているのか?
そんなん“自分ルール”に決まっとるわい!
一般論とかどーでもいい! 私の中で定められたルールが絶対なのだ!!
自分が暴論を吐いてることは百も承知だ。
私が統治者だったらクーデター待ったなしだろう。
こういうタイプの人間が役職についてる会社はマジ最悪である。
けどヤメられないッ!止まらないッ!!
私の中にある”正義”が「相手を絶対に許すな!」と、怒りの炎に薪をくべ続けるのだ。
これはもう神経病ですネッ!
どんな些細なことでも私の正義で有罪判決だ!
自分にとってはどうでもいいことでも、相手からしたらブチギレ案件でしたというのはよくあることだ。
私の正義から1mmでもズレた相手はその瞬間にぎるてぃ〜!である。
本当に些細なことで相手を悪と断定し、一度でも有罪判決をした相手は決して許すことはない。何年経とうが許さない。
そういえば、むかしバイトをしていたところで、「シフトの交代」をよく頼まれるたのだが……
はいダメッ!それは有罪!!!
である。
だって私の中には「決まったシフトは出て当然」という自分ルールがあるんですもの!?
そりゃあね、熱が出たとか、不幸があったとか、どうしようもない事態ならまだしも「ちょっと出かけたいから〜」などという理由は言語道断なのだ。
あと、私は他人に予定を狂わされるのが反吐が出るほど嫌いである。
スケジュール的に交代することは可能であっても、スケジュールが変わることがもう耐えられない!
という訳で私はそのバイトを辞めました。
――――はいそうです。
シフト交代を頼まれるたびに酷いストレスを感じるのが嫌で辞めましたがナニか!?
まあね、私も心はダークフォースに汚染されているのに、外面は善人を演じていたせいで頼みごとがしやすかったのだろうけど……
私の演技に騙されて頼みごとをする奴は有罪じゃけえのぉ!!
このように、どんなことでも難癖つけて有罪にする正義の人、それが私。
ただひたすらに、公平と正しさを求め、ルールを破る存在を悪とする。
じゃあお前が相手を攻撃して嫌な思いをさせるのは正義なのか?と問われれば
「うん!悪いのは相手で、自分は正義だからOKやでっ☆」
と破綻した理論で当然のように自己正当化する。
これが巷でよく見かける”正義の人”の正体である。
客観的に見ると酷いなぁ、正義の人め許せねえ!!あいつらは有罪だぁぁぁっ……………………
………………
こんなだから、私は誰も許せないのである。
人を許すの難しすぎじゃね?
許せないからストレスが溜まる。許せないから生きづらい。
殴れば自分の手が痛くなるとわかっているのに、殴るのをやめられないみたいな。
なるほどなぁ、人を許せば自分も許されるとは、つまりこういうことかぁ……
果たして私は正義の人をヤメることができるだろうか!?
……まあ無理だネッ!
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