つね日頃からままならねえ人生を送っていると、ふいに「ああ、私の人生って不幸だなぁ」と考えてしまうことがある。
私の場合、過去に経験したマイナスな要素、たとえば仕事の失敗だったり、人間関係のストレスだったり、発達障害による弊害などを“マイナスの負債”として累計する。
そして今度は、嬉しかったこと、幸せだったことなど、プラスの要素を累計して、そのプラスとマイナスの累積差を計上するわけだ。
(個々の出来事を、プラス○○ポイント、マイナス○○ポイントといった具合にフィーリングで判定している)
まず、このやり方がよくないのだ!
まあ、当然だけど、そうなるとマイナスの累計が圧倒的に大きくなるので、差し引きはマイナス、つまり“不幸”に傾いてしまうわけですヨ。
その結果「ああ、私の人生はなんて不幸なんだろうか!」と嘆いてしまう。
私たちのような発達さんが、このように“幸福と不幸を天秤にかけて、自分の人生の幸係数を測る方法”を使うと、まず間違いなく不幸な結果にしかならないので止めたほうがいい。
そもそも、幸福と不幸を比べたら、圧倒的に不幸の方がインパクトが強いのだ。
とんでもなく嫌な目に合って「もうこんな人生いやじゃあああ!!」と嘆くことはよくあるが、逆に、嬉しいことがあって「私の人生って最高!」なんて思うことがそうそうあるだろうか?
私は今まで生きていて一度も、そんなハッピーな気分になったことはないぞ!?
というか「人生って最高!」と思える幸せって、なにがあればそこまでハッピネスになれるんだろう?
ちょっと良いことがあったとしても、そんなのは気休め程度にしかならない。
だって人生ってのは、連続した点がつながって出来る線のようなものだから、一回だけ良いことがあったとしても、それで人生が素晴らしいものにはならんと思うのだ。
けれど不幸に関しては「もう最悪!」と思うようなことが毎日のようにポンポン降ってくるではないか!
不幸な点だけが続けば、そりゃあ不幸な人生にもなるさ。
むしろ、私はほんの些細な出来事でも「最悪だ!私の人生は最悪だ!」と感じてしまう。
人は幸福よりも不幸を強く感じる生き物なのだ。(私だけか?)
もしも何かの抽選で1000円が当たったとしたら「おっ、らっきー」と思うぐらいなもんだが、
もしもうっかり1000円を無くしてしまったら「くっそぉっ!最悪だァッ!!」と、ハラワタがねじくれる程の不幸を感じてしまう。
しかも、幸せなことはすぐに忘れてしまうけど、不幸なことは、ずっと心にへばり付く習性があるのも厄介だ。
そう考えたら、人生が幸福よりも不幸の方が圧倒的に多いのは当然であり、私のような発達さんは不幸を感じてしまいやすいのも頷ける。
幸福と不幸を切り離して考えないと不幸な人生になる
それじゃあ、私のような人間でも、人生で幸福を感じるにはどうすればいいのかといえば、幸福と不幸を別々に計上しなければならないのだろう。
あまりに不幸なことが多すぎると、些細な幸せは視界に映らなくなってしまう。
「小さな幸せ」が不幸に上書きされてしまう。そうなると、私のような人間は不幸一色の人生を生き続けるはめになるわけだ。
だからこそ、嫌なことがあっても、嬉しいことを否定するのは止めましょうってこと。
つまり「それはそれ、これはこれ」の精神が大切。
同じ財布に幸せと不幸を入れておいたら、財布の中には負債しか残らない。
「不幸」と「幸せ」は別々の財布に入れるべし!
そんでもって、でかい幸せなんてまず落ちてこないので、小さな幸せをちゃんと見つけることも重要だと思う。
足元に咲いている小さな花を「ああ、綺麗だな」と思えるなら、それは幸せとして計上しても良いのだ。
もう一度いうが、私たちのような人間が、普通の人たちと同じような幸せを望んだところで、手に入ることなんてない。
余計に惨めな気持になるだけだろう。
それよりも、普通の人が見過ごしてしまう小さな幸せを継続的に見つけることが、人生を幸せにするんじゃないかなぁと思うのだ。
小銭をコツコツ貯める感覚で、小さな喜びを探しましょ
たとえ1円玉だって、たくさん溜まったのを見れば、なんか幸せな気分にだってなるものだ。
順風満帆な普通の人からみれば「なんだそんなもん」と馬鹿にされるようなことであっても、自分が良いと感じることができれば、それは間違いなく幸せである。
まあ、
それが簡単にできれば苦労はないんだけどネッ!
この計算癖が長年の習慣として染み付いてしまった私の脳みそは、どんな事でも隙あらばプラスマイナスから「これはマイナスだな」とか考えてしまうので困ったものである。
けれど、意識することは大事だと思う。
私は散歩をするのが好きなのだが(誰もいない場所をてくてく歩くのが好き、心が休まる)
何も考えず歩きながら、不意に聞こえる鳥の鳴き声は耳に心地よいし、肌を風が抜ける感じも気持いいし、ひらひらと舞う花びらを綺麗だと思う。
そして、少なくともそのとき私は幸せを感じている。
あまりにもささやかではあるが、これを幸せと認識することが、私には必要なのだろなと思うわけなのです。
(別に散歩を推奨しているわけではないヨ? そこは人それぞれ自分にあったものがあるは)
それを忘れないようにと、私に対する戒めも込めて、今回はこういう話を書いてみたのでしたとさ。
なんか今回はマジメっぽーい!
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