親が子どもの発達障害に気づかない家庭は親子関係が崩壊するぞ!

親が子供の発達障害に気づかないと親子関係崩壊する 人間関係

いまでこそ『発達障害』という言葉が巷に浸透してきているが、私が子供の頃は、誰もそんなこと考えてもしなかった。

たとえば小学校で、授業についていけなかったり、集団行動で空気が読めなかったり、突拍子のない行為で周囲を驚かせたりとか。

周りと比べて明らかに”おかしい”と思える子どもというのは一定数いたはずだ。
(もちろん私は、その”おかしい”側の子供であったのだが)

しかし、当時は発達障害なんて普通の人は考えもしないことだったから、そうした”ちょっとおかしい子”は一括りに”個性的な子”として処理されてしまったのだ。

私はこの”個性”という言葉が大嫌いである。

どんなに気をつけても忘れ物をしてしまう、とか

授業中に黒板をじっと見続けることができない、とか

明らかに異常である。脳機能の欠陥である。

しかしそれを「あの子はうっかりさんだねぇ」とか「あの子は勉強嫌いだねぇ」なんて個性として片付けてしまうせいで、誰もその子供に異常があると思わない。

親が指摘しないのだから、その子自身も、自分は周りの子と同じ”普通”の人間なのだと思い込んでしまう。

その結果、大抵のことが許容される学生を卒業し、周囲との違いが許容されない社会に出たことで初めて異常が指摘される。

だから“大人の発達障害”なんて言葉生まれてしまった。

別に大人になったから発達障害になったわけじゃなく、子供のころから発達障害だったのだ。

それなのに、周りの大人が誰も、子供の異常を直視しなかった結果、大人になってから異常が露見してしまっただけのこと。

これは結局、個性などという曖昧で根拠のない日和った考え方の弊害である。

自分の子どもを発達障害だと決めつけるなんて残酷だ?

馬鹿をいっちゃあいけない。

発達障害を放置したまま大人になって、もう色々なことに取り返しがつかない年齢でいきなり「お前は発達障害だ」と指摘されるほうがよっぽど残酷である。

なにせ本人は、自分が普通だと思い込んだまま成長してきたのだ、だから仕事を選ぶときだって周りの普通の人と同じように決める。

「仕事で失敗しても頑張ればなんとかなる、だって自分は普通の人だもの!」なんて思い込みをしてしまう。

残酷である。滑稽である。

ペンギンが周りの鳥を見て「自分も飛べる!」と思って羽ばたく練習をするのと同じぐらいの道化っぷりである。

親が子供の発達障害を理解できないと親子関係ぶっ壊れるぞ!

子どもの発達障害に理解がない親を憎む子供

私が子どもの頃、授業についていけないこと、いくら気をつけても忘れ物をしてしまうこと、集中して読み書きすることも苦手なこと、他にも色々なことが出来ないことに悩み苦しんでいた。

「どうして自分はできないのだろうか? 自分はおかしいのではないか?」と親に相談したことがあった。

しかし親は「もっと頑張りなさい」とか「不器用なのねぇ」と大した問題だとは受け止めてくれなかった。

他にも、私は手順を覚えたり、順番に物事を進めることができなかった。

普通はノートを書くなら最初から1ページずつ順番に書くだろう。

しかし私のノートはいつもページが飛ばし飛ばしになっているから、実際に使われたページは半分程度である。(もったいない)

順番通りに書くという、当たり前のことができないのだ。

それを聞いた親は「ちゃんと順番に書きなさい」と、私がちゃんとノートを使わないことを咎めたが、違うのだ、ちゃんとやりたくでも「できない」のである。

しかし、親には”できないこと”が理解できないのだ。

生活のなかで様々な不具合のようなものを感じては、親に悩み伝えてみたけれど、私の不安が親に伝わることはなかった。

理解されない苦しみで子供は親を憎むようになる

いつからか、私は「ああ、この人たちにどれだけ言ったところで理解してくれないのだな」と悟って、親に相談するのをやめた。

そうして心の中で「自分はこんなに苦しんでいるのになんで理解してくれないんだ…」と苛立ちを感じるようになっていく。

それから私が社会に出てからも、自分が普通の会社員に向いていないと気づくまで色々な会社を転々としていた。

そのたびにも親からは「すぐに辞めてどうする」と文句だけを言われるので、親に対する不満ばかりが蓄積されていく。

その結果、私はいつの間にか親を敵視するようになってしまった!

私にとって親は、顔を合わせるだけでストレスを感じてしまう存在でしかなくなった。

敵である!エネミーである!

一番身近な存在であるがゆえに、分かり合えないと認識してしまったとたん、親の存在が私にとってもっとも忌まわしいものになったのである。

実際今でも、親は私がこんなに憎んでいることを知らないだろうし、私も今更自分のことを親にきちんと説明する気にもならない。

私のなかでは全て終わってしまったこと。
私の家庭において、親子関係は崩壊という結末を迎えたのであったとさ。

こんな親子にならないために

発達障害の子供をもつ親御さんに言いたい。

普通の子供なんていないのだ、ちゃんと子供を見て、その声に耳を傾けてほしい。

そして発達障害を抱えている人も、説明しずらくてもちゃんと親に相談をしてほしい。

伝えることを諦めたら、相互理解の道は閉ざされてしまう。

と、既に諦めた私はせめて忠告をする。

ストレスの原因を全て排除した先にあるもの

私は理解してもらうことも理解してもらおうとすることも諦めた。

そしてとった行動は「捨てる」ことである。

私を悩ませる「親」との関わりを捨て、他人との繋がりも捨てる、そうすることでストレスは激減した。

そうして私は「自分は他人と一緒に生きていけない人間なのだ」と思い込む。

根本的な問題の解決になっていなかったが、当時の私にはそれ以外に方法が思いつかなかったし、そうしなければ状況は悪化していただろうから、選択としては間違いではなかった。

それは今現在でも変わらず、必要以上に他人と関わることは控えている。

他人と繋がってもろくなことにはならないと、過去の経験から解答を導いた結果である。

別にこれが正しいか正しくないかなんてことではなく、私が生き延びるにはこれしかなかったということだ。

他人を敵と考えるようになれば生きづらさは100倍増し

会社でうまくやっていけない。人とうまく付き合えない。親と分かり合えない。

そんなことを繰り返し、やがて一人でいることを選ぶようになる。

そして私の精神は、ここから更に悪い方へと転がり落ちていく。

親どころか他人は全て「敵」と考えるようになったのだ。

これは世界を敵に回すようなものだ。

会社に勤めて金を稼ぐならば、人と関わらずにいるなど不可能に近い。
とてもではないが平穏な心で生きてはいくことなどできない。

紆余曲折あって、その危険な状態から抜け出すことはできたが、今振り返っても、当時の私は本当に最悪の状態だった。

酷い思いをしたし、私自身も周囲の人間に対して酷い振る舞いをした。

そのとき関わった人にとって、私の印象は今でも最悪だろう。

私の中の後悔も未だ消えないままだ。

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