うちの親は何かにつけて子どもを否定する人間である。
とりあえず否定というのがデフォルトなのだ。
私が失敗すれば原因にも聞く耳持たずに叱りつける。
親の意図に反することがあれば「なんで言う通りにしないんだ!」と叱る。
私がよかれと思い自主的にやったことも「勝手なことをするな!」としかる。
私の親は、束縛と否定で子どもを「教育」したつもりなっているような人種である。
まあいわゆる毒親というやつだ。
そんな相手を好きになれるはずもなく、私が親と一緒にいたくないと思うようになるのは自然な流れであった。
私の発達障害が発覚してからは、はっきりと憎しみを感じるようになった。
「こんなことになったのはお前らせいじゃないか」と。
まあしかし、生まれ方をいくら恨んだところで、どうしようもないことで、親が意図してそう生んだわけでもない。
発達障害は不幸な事故、それは分かっているつもりだ。
けど、私の親にはなんとも度し難く、許しがたいところがある。
それは「自分が子どもに好かれていると勘違いしている」ところだ。
鈍すぎる毒親に物申す!
私の親は、私がお前ら憎んでいるとは微塵も思わず、あまつさえ好かれていると思っているのだ。
虫唾が走るわーいっ!!
なんでだ?
どこをどう勘違いしたら、自分たちが嫌われていないと思えるのだ?
おまえらこそアスペなんじゃないのか!?
親は無条件に子どもから尊ばれる存在だと思っているのか!?
ねえから!そんなわけねえから!!
むしろ近くにいる存在だからこそ恨みや憎しみが溜まる一方だから!
いやほんと「あなたに届けたい!私の憎しみ!!」である。
私がここまで恨み憎んでいるというのに、この気持ちがほとんど通じていないところが本当に度し難いと思う。
毒親の思考回路はつねに「私は子どものためにやっている」なのだ。
叱ったり、否定したり、束縛したりするのも「すべて子どものため☆」なのである。
だから本人に悪気がないところがまじ最悪である。
これ「じつは親も発達障害でしたっ」ていう展開なんじゃないかなと最近よく思う。
そんなわけで、子どものころからくすぶり続けている私の憎しみは、いい歳になっても未だに胸の中でくすぶったまま香ばしい煙を立ち上らせている。
いつか消火できる日がくるのだろうか?
たぶんこないのだろう。
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