疲れやすい私はきっと「生きる速度」が普通の人と違うので何もしない日があってもよいのだ【発達障害メモ】

なまけものに学ぶ生き方 考えかた

世の中には、休む暇もなくバリバリと働きながら人生を全力疾走で駆け抜けようとする人がいる一方で、私のように省エネモードでノロリノロリと生きのびているヤツもいる。

これを「やる気の差」と言って片付けることに、私はいささかの疑問を感じてしまう。

そりゃあ、やる気というのもあるのだろうが、もっと根本的なところで何かが違うんだよなぁ……何が違うんだろうなぁ……?

なんてことを、ぐでーっとしながら考えてみたわけだ。

そして私は、やる気云々というよりも、個人の「生きるスピード」が違うことが問題なのではないかという結論に至ったのである。

たとえば1日のスケージュルをみっちりと詰め込んで「こんなもんじゃ物足りない!まだまだやれるゼ!」と動き続ける人は、当然ながら生きるスピードが早い族である。

私のような、1日に1つでも行動を起こせば「ふぅっ、今日はこの辺にしとていやるゼ!」と満腹になってしまう奴は生きるスピードが遅い族だ。

世の中の風潮としては、当然ながら生産性の高い方が良しとされるので、私たちのような人間は「なまけもの」として扱われてしまう。

そりゃあ社会からしてみれば、沢山生産して沢山消費する人の方が価値が高いのだろう。経済回してなんぼの人間みたいな。

けどそれはあくまでも社会にとって都合のいい価値基準であって、生きるスピードが遅い族が「私は社会的価値の低いろくでなしだ……」自らを卑下して落ち込むのは違うのではないだろうか?」

最初に言った通り、やる気とかじゃなくて、根本的な生きるスピードが違うのだから、そもそも私たちのような人間は、せっせと生きることを望んでなんかいないのだ。

生まれながらの早い族の人たちは、そこに充足感やらなんやら感じて、そりゃあ楽しいだろう。

けど私のような人間は、そんなものは望んでいないのだ。

のそーりと無理なく生きるだけで満足なのである。それが生まれついての性分なのだ。

それだというのに、周囲に急かされて「私ももっと早く生きなきゃ!」と頑張ったところで、なんも楽しくないし、ただただ疲れてしまうだけである。

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ナマケモノ先輩に学べ!

本家本元の「ナマケモノ」という動物は、1日たった8g程度の食事でも生きていけるらしい、そんで日中は大半寝てるらしい、うーん、こいつぁナマケモノですわぁ。

さて、そんなナマケモノ先輩だが、彼らは周りを走り回る動物をみて「ボクももっと早く動きたいんだなまけもの」と思ってるだろうか?

何を考えているかは知らんが、少なくとも自分の生きるスピードに不満などないはずだ。

そして彼らが生きることに不真面目かといえば、それも断じて否である。

ナマケモノだってゆっくりと精一杯生きているのである。

ナマケモノは怠けているわけではないのだ。

そう!つまりはそういうことヨッ!

私たちは、ナマケモノな人間として生まれたわけだが、それは決して怠けている人間ではない!ということだ。

言うてみれば、生まれながらの非社会性人間なのである。そんな私たちが生き急ごうとすること自体がナンセンスッ!

ダカラネ?

「あぁ、今日も何もせずに終わっちゃった……」

と悩んだりする必要などないし、そこに負い目を感じなくてもいい、ましてや、私がたまにしかブログ更新しないことだって何も問題ないのである。

だから皆さんも自分のペースで生きるのがよろしいでしょう。

…………ふぅっ

久しぶりにブログを書いたら疲れた!

寝るッ!!

 

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