無理に頑張って心をすり減らしてた昔の自分が哀れすぎる…ッ!【発達障害メモ】

無理して頑張っても心がすり減っていくだけ 雑記

過去の自分を振り返ったとき、忘れたい黒歴史を思い出して「あいたたたッ!」て気持ちになるときってあるジャン?

私は最近、とあるもの見たせいでそんな気分にさせられてしまったのだ。

それというのは、もしかしたらご存知の方もいるかもしれないが、このブログの元となったブログ1号の存在である。

実はこのブログ、途中で1号から分岐した2号的な存在なのだ。

1号の方も、発達障害の生きづらさなどに関して書いていたものだったが、しかし、このブログとは大きく異なる点がある。

このブログが「発達障害なのに無理して頑張ってもロクデモナイことになるから自分に優しく高望みせずに生きようゼッ」というスタンスに対して、

1号は「発達障害は大変だけど、色々挑戦すればきっとなんとかなるから頑張ってみようヨッ」という前のめりなスタンスで書いていたのである。

つまり、私がまだ頑張ることに疲れ果てる前の産物なのだ。

そして最近、何気なくブログ1号の記事を読み返したとき、私はこう思った。

「なんだこの薄っぺらい記事は!? 綺麗事ばかり並べやがってヘドが出るぜぇッ!!」

てねッ!。

なんていうかなぁ、全体的に無理して良いことを書こうとしているというか、建前を並べているだけで、本人の気持ちが全然伝わってこない文章なのですわ。

それに比べて、このブログの記事はどうだい?

私の中に蠢く恨みや憎しみといった負の感情がほとばしっているではないか!

これはつまり、私がこのブログを本心で書いているということである!!

まあ1号の方でも、ときおり胸に秘めた暗黒面が抑えきれずにドロドロとした内容の記事を書くこともあったのだが、やはり読み手にもそういう”熱”が伝わるのか、閲覧数が多いのはもっぱらそういう記事である。

擁護するわけではないが、べつに当時の私も嘘を書こうと思っていたわけではない。

言ってしまえば、当時の私は、努力すれば、頑張れば、きっとなんとかる、そんな幻想を抱いていた愚か者だったというだけなのだ!

(当時も、記事を書きながらどこかモヤッとしたものを感じていた気がする……)

だから今の私が読むと「なんか無理しちゃってぇっ、痛々しいぞぉっ!?」過去の自分の痛々しさに身悶えしてしまうのだわ。

けれどまぁ、やはり私の本音というのは抑えきれるものでもないようで、ブログ1号は続けていく間にどんどん歪なものになってしまった。

「頑張ればきっと〜」というポジティブ記事を書いたと思えば「無理なもんは無理なんだぜ〜」というネガティブ記事が書かれているという具合に、趣旨がブレブレの、支離滅裂なブログになってしまったのだ。

不純物が混ざったようなブログの姿に、私自身も気持ち悪さを覚えてしまったので、今の私が本心だと思う記事だけを抜き取って再構成したのがこのブログなのである。

そう、これをドラゴンボールに例えるなら、神様が己の中に潜む邪悪な心をピッコロ大魔王として切り捨てた感じヨッ!

まあ私の場合は、ピッコロな方が本心だったので、偽善の神様なんざただの抜け殻よぉ。

それでも現在もまだブログ1号をひっそりと残しているのは、読む人にとっては、もしかしたら電池の切れたスマホぐらいの役には立つかもしれないので、一応残しているのだ。

改めて書き直してからこっちのブログに移植するのもいいかもしれない。

そのうちやろう。うん、そのうちね。

しかし、昔の記事を読んでいると、「よくもまぁ心をすり減らしながら無謀に頑張っていたものだなぁ」と、しみじみしてしまう。

過去の自分に、「お前はよく頑張ったさ、だからもう無理せずゆっくりいこうや」と言ってやりたい。

そんなことを思った今日この頃でしたとさ。

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