発達障害の人にとって重要なのは収入を増やすより出費を減らすことである

無駄なものを買わなければ給料安くても大丈夫 考えかた

「お金がないせいで人生がつまらない…」とか「お金があれば自分だってもっと幸せになれる」というふうに、お金で自分の幸福量を測る人は多い。

それが大多数の価値基準であることは否めない。

だから、たくさんの人が「年収◯◯◯万以上になりたい!」という願いを持つのもわかる。

皆がお金持ちを羨み、欲しいものを自由に買うことのできる生活に憧れる。

うん、まあ何が幸せかは人それぞれなので、そこをとやかく言うつもりはない。

普通の人は金で幸せを測ればよいさ。

しかし、しかしだ……

私たちのような発達障害者はそれじゃあいかんだろ!?

なぜなから、私たちには普通の人のようにガンガン働いてガンガン稼ぐなんてことは無理だからである。

そこで持ち金の量で幸せを測ろうとしたら、間違いなく不幸にしかなれないということだ。

私たち発達障害者は普通の人に比べて、お金を増やすことに向いてない存在だということを自覚すべきだ。

「お金がないのなら沢山稼げばいいじゃない!」というのは普通の人が持つべき思考である。

私たちが持つべき思考は「お金がないなら無駄な出費を減らせばいいじゃない!」これである。

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まず捨て!よさすれば真実がみえるだろう

あれが欲しい、これも欲しい、物欲っていうのは際限がない。

しかも、なにか買うごとに感覚が麻痺していくので、べつに必要じゃない物まで、何故かものすごく欲しくなってしまう。

感覚がおかしくなると、本当に必要なものがなんなのか、分からなくなるのだ。

物欲によって狂ってしまった感覚を元に戻すために必要な行為、それは捨てることである。

とはいえ、不要な物を捨てようとしても「えー、でもこれは、もしかしたらいつか必要になったりするかもしれないしぃ?、無いと困るかもしれないしぃ?」

みたいな思考になるはずだ。

だが実際は部屋にはるものなんて半分以上が使わない不要なものなはずである。

こんなときは、自分の人生があと1年だったと仮定して、残りの人生に必要な物だけを残して後は捨てみよう。

物欲は心の肥満である。
ものが無くなって部屋がすっきりするということは、体から贅肉をそぎ落とされたようなものだ。

そうすると、今度は無駄なものを部屋に置きたくないという心理から、消費行動が減るはずだ。

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承認欲求に振り回される人

実際問題、お金がないのは困る。
衣食住を維持できなければ健康に生きることはできない。

しかし、生活に困っていなくとも「もっとお金があれば…」と嘆く人がいる。

生活には困ってないが、裕福とはいえない状況に不満があるのだ。

なぜ不満なのか。

欲しいものがあっても財布を気にして我慢しなければならないから?

我慢しなければならない状況が不幸だというなら、どれだけお金があれば幸せだといえるのだろうか。

その答えが「あの人と同じぐらい」であるのなら、その考えは捨てるべきだ。

他人を基準にしている限り、永遠に他人に振りまわれることになる。

「お金がなくても幸せ」は共感されない

「お金がなくても幸せ」という価値観は少数派である。

少数派なので共感はされない。
お金を持つ人からは「本当はお金が欲しいんでしょ?」みたいに言われる。

やせ我慢ではなく、本当にそう思っていたとしても、自分の意見が他人から否定されると「もしかしたら自分は間違っているのでは…」と自分の意見に自信がなくなってしまう。

「お金があれば幸せ」という人。

「お金がなくても幸せ」という人。

どちらも人によっては真になるが、後者は圧倒的に承認されにくい価値観である。

自分の価値観を他人に認めてもらいたがる人は、その承認欲求に苦しめられるだろう。

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お金至上主義の「脅迫感」に追い詰められる人

重労働により身体を壊すまで働き続ける人が、なぜ壊れる前に仕事を辞められないのか。

それは「働いてお金を稼がない人間には価値がない」という強迫観念にとらわれている面があるからだ。

「今の収入を手放したら世間からレッテルを貼られてしまう」

それが怖くて、精神的に追い詰められながらも、仕事を続ける。
最悪は身体を壊してリタイアしてしまう。

仮に身体を壊さずに働き続けていたとしても、果てしてそこに幸せがあるのだろうか?

「お金を稼ぐのが楽しくてたまらない!」というような、収入が増えるたびに幸福感に包まれる人ならそれで結構だが、そんな人は稀だ。

いくらお金があっても、精神と肉体が健康でなければ幸福を甘受できない。

他人の価値観では幸せは見つからない

もしかしたら、子供の頃から親に「大企業に入って沢山お金を稼ぐ立派な人になりなさい」と言われてきたかもしれない。

周囲の人から「年収高い人が勝ち組だよね☆」という会話をしてきたのかもしれない。

そんな他人の言葉が、いつのまにか自分の意見であると錯覚してはいないだろうか?

今のあなたに根付いている価値観は、ちゃんとあなたの心から生まれたものか?

あなたの心に従って作られた考えは、あなたの人生に幸福をもたらすだろう。
他人の言葉によって出来た価値観では、本当の意味であなたを幸せにはしてくれない。

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消費行為以外から幸せを感じるには

私たちの頭には「お金があれば幸せ」というイメージが刷り込まれている。

しかし、それはあくまでも価値観の一つであり、唯一絶対の真理ではない。

購入という行為は、インスタントに幸福を味わうことができる。

しかし、お金がないのであれば、別の方法で幸福を得る必要がある。

「買う=幸せ」の図式から抜けだす

それは知的生産活動であったり趣味であったり、方法は人それぞれだが、どれも簡単なことではない。

購入は、お金と引き換えに、中間をすっ飛ばして幸福だけを手に入れることができるわけだが、それ以外となると、自分の何かを支払う必要がある。

例えばスポーツから幸福を得る場面というのは「技術の上達」だったり「試合の勝利」であるが、そのためには「練習」が必要になる。

「子供がいれば幸せ」というお母さんは、子供のために家事をしたり働いたりする。

「研究をしていれば幸せ」という人は、没頭するほどの思考と時間を費やす。

消費行動以外から幸せを得ている人は、お金以外の対価を支払っているのだ。

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金のかからないおすすめの趣味は「読書+ブログ」

私にとってはこのブログも趣味の一つだと言える。

ブログで生計を立てているわけでもないので、書きたいことがあれば書くし、何もなければしばらく放置することもある。

そういうとき、私は図書館で本を借りて読んだりして、また何か思うことがあればブログに書くといった感じだ。

私の場合は性格的にも、日頃から溜め込んでいる鬱憤とかネガティブなものが多いのだが。

自分の超個人的な価値観と意見を誰憚ることなく世間に公開できる場所、それが私にとってのブログである。

無料のブログサービスを使えば、お金は全くかからないし、安いレンタルサーバーなら月に数百円程度で使えるものもある。

かかるのは時間だけ!

時間だけが有り余ってるけど、お金がなくて何もできないと嘆いている人にはオススメである。

コメント

  1. トウコ より:

    あら、私と同じ人が居た!
    読んで救われました。

    • ぼんた ぼんた より:

      そう言ってもらえるなら嬉しいです。
      ふつうの人と同じ生き方ができないなら、自分に合った生き方を見つけないとですね。
      たとえそれが、普通の人には理解できないことだとしても――。

  2. プリン より:

    私も思い当たるところが、たくさんありました。ブログを読んでとても救われた気持ちになりました。

    • ぼんた ぼんた より:

      ありがとうございマス。そう言ってもらえると、このブログにも意味があるのだなと思えます。(だいぶ放置気味ですが)

  3. ブロッコリー より:

    ぼんたさんのブログ、たまに読んでます
    ランプの灯りみたいな、優しく照らしだしてくれるようなブログですね

    明日もバイトがんばろうっと

    • ぼんた ぼんた より:

      ブログを読んでいただきありがとうございマス!
      私の嘆きと憤りが火を吹くような記事ばかりで、とてもランプのような綺麗なものではないと思いますが、
      そう言ってもらえると、ブログを書いた甲斐もあったというものですネ。