世間の風潮として、身分証=運転免許みたいなところってあると思う。
だから私が免許を取った理由も、車に乗りたいからではなく「この先、身分証が無いと不便だろうから取っとくか」という気持ちからだった。
ちなみに、AT限定である。
だってATの方が簡単だし、実習の回数も少ないから安く済むんだもの。
そして、通過儀礼として、周りのMT至上主義者からは「えっ、オートマなの?ダッサっwwプークスクスッwww」と言われたわけだ。
けどMT免許取った人の中で、MT車を買うひとがどれだけいるのだろう?
よっぽど車が好きな人でなければMT車なんて乗りもしないだろうに、なぜそこにこだわるのか、私にはいまだによくわからん。
というか、私は免許を取ったあともAT車にすら乗ってないのだから、全くもってどうでもいいことである。
まあ私だって、教習所に通っている途中までは「一応は免許を取るのだから、必要があれば乗ろうかなぁ」ぐらいには考えていたのだ。
しかし、運転実習が進むにつれて感じたのは「あっ、私は車に乗っちゃいけない人間だわ」ということである。
発達障害の私が運転しちゃいけない理由
当時の私は、まだ自分が発達障害であるなんて疑ってもいなかった。
というか、その頃はまだ「発達障害」という言葉が世間に広まってもいなかったので、ちょっと不器用な人間ぐらいにしか考えていなかった。
しかし、車に乗っていると私の視野はとても狭くなり、動作もギコチなくなる。
曲がるときの後方確認も、隣に座っている教官から「なんかギコチない、ただ首を動かしているだけでちゃんと確認してない」みたいな注意されるのだが、私にしてみれば「ちゃんと確認するってなんだ!?何がダメなんだ!?」と意味不明であった。
それでもいちおう動きだけはしているので、実習は合格にしてもらえた。
やっべえなぁおい!
車庫入れのバックも、空間認識能力が低いのか、全然うまくいかずに、最終的には「ポールを目印にしてそこから何回ハンドルを切ればいいか」という方法で乗り切った。
はっきりいって、そんなん他の場所では全く役に立たない、決められた教習場所の車庫入れでのみ通用する方法である。
けど実習では上手くいったので合格をもらえた。
やっべえなあもおぉ!
「運転しちゃダメだ」と思った決定的な瞬間
やばいやばいと感じながらも、いつのまにやら路上教習まで進んだ私は、教官を隣に乗せて道路を走っていた。
さすがに、なにもない道路をただ走るだけなら問題はおきない、途中途中で教官に注意されながらも、なんとかその日も無事に終わりそうで、教習所に帰る道を走っていたときだった。
突然、車がガクンッ!と止まった。
何が起こったかというと、私が赤信号の横断歩道をぶっちぎろうとしたから、教官が補助ブレーキを踏んだのだ。
幸いなことに、横断歩道は無人だったし、後続車もいなかった。補助ブレーキのおかげでその前で止まることもできたのだが、このとき私はハッキリと「自分は車に乗っちゃいけない人間だ」と自覚した。
私はそのとき、わき見運転をしていたわけでもなく、ちゃんと前を見て運転していた。
ちゃんと前を見て注意していたのに、赤信号に気づかなかったのだ。
ご理解いただけるだろうか? このヤバさを。
視野が狭いという自覚はあったが、こりゃあダメだと思った。
いくら注意していても、私は必ず同じことを繰り返すと思った。
ちなみに、赤信号を見逃したのは実習中でもその一度だけで、教官も”たまたま”の出来事だと判断したようで、その場は注意だけで済ませて、実習は合格となった!
マジやべええええええだろおお!!!
絶対に車には乗らないと決意を固めて無事免許取得
そんなわけで、運転に恐怖を覚えながらも、どうにかこうにか私は試験に合格して、運転免許をゲットした!
はい!封印です!!
免許取得からの即封印!!
普通の人は「免許とったぜうっひょおおおおぉぉ!」と喜びながら、親の車を借りたり、中古車を買ったりしてカーライフをエンジョイするのだろうが。
私にそんなものはない。
「運転したら人生が終わる」
それが分かっていて、運転する阿呆がどこにいるだろうか?
ちなみに、免許の更新だけは忘れずやってるので、ゴールド免許である。
田舎では免許がないと生活ができないらしいので、わたしに田舎暮らしは永遠に無理なのだろう。
おそらく、残りの人生で、私が自分で車を運転することはないだろう。
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