アスペな発達障害者だけど人間関係を全捨てしたら生きるのが楽になった!

発達障害だけど人間関係切り捨てたら楽になった 人間関係

アスペな私の人間関係は賞味期限がとても短い。

最初はなんとかやっていけても、いつも最後はこじれて崩壊してしまう。

そこそこ仲が良かった相手でも、何がしかのキッカケで「あっ、この人はもういいや」と見切りをつけてしまう。

これを人に言うと「冷たい」だの「人でなし」だの果ては「サイコパス」だのと言われて非常に鬱陶しい思いをすることになる。

だから表向きは普通の人のフリをしているのだが、いくら誤魔化したところで、私は発達障害者のアスペだという事実は変わらない。

一時期は「このままじゃだめだ!」と感じて、自分を矯正しようとした。

興味のないことにも無理して興味を持とうとしたり。

本当は他人なんてどうでもいいけど人に優しくしてみたり。

まあ色々やってみたのだが、全くといっていいほど満足感も幸福感も生まれなかった。

そこから学んだのは、人の性根というのは無理して変えられるものではないし、変えようとすること自体が間違っていたということだ。

普通の人からすれば「お前はおかしい!」と言われるような思考、行動理念であったとしても、私はそういう生き物であるのならば、それはもうどうしようもないことなのだ。

普通の人に共感するフリはできたとしても、共感することはできやいしないのである。

発達障害は生まれ持った歪みである。

生まれついて歪んでいるなら、その状態こそ自然であり、無理して歪みを直すほうがおかしいのだ。

そこんとこを履き違えてしまうと、普通の人と普通じゃない自身のギャップに苦しむことになる。

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無理して人間関係を維持すること自体間違っている

「友達はたくさんいた方いい!」と言う人がいるけれど、逆にそれは本心なのかと聞きたくなる。

本当は人間関係に苦しめられているのに、世間の風潮に流されて「友達が沢山いる自分」という理想像を作りたいだけじゃないのかと。

まあ実際、本当そう思っている人もいるだろうし、それで楽しく生きているなら、どうぞご自由にしてくださいである。

しかし、身の丈に合わ無い人間関係を持とうとする人間は悲惨である。

人間関係というのは、きちんと育てられる人が持つべきものである。

無理しなければ維持できないような人間関係はすでに腐っているのだ。

腐った枝には何も実りはしないのだから、切り落とすのが正解である。

上手く育てられないなら、くよくよ悩まずスパッスパッと切ってしまえばよいのだ。

長年付き合っていた相手だろうと、すでに腐った関係ならば維持するだけ無駄である。

人間関係を上手に育てられる人はどんどん増やしていけばいいし、腐らせてしまうことしかできないなら最初から諦めるべきである。

ちなみに私はどうあがいても腐らせてしまうので、既に人間関係を育てることは諦めてスパッと切り落とした。

言って見れば枝がない幹だけが伸びた状態である。

側から見れば寒々しい姿かもしれないが、腐った枝をつけているよりサッパリして良いものである。

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人間関係が変わるのは当たり前

例えば、いままでは意見が合っていたけれど、お互いの立場や価値観が変わってしまい意見が合わなくなるということはよくある。

「前は仲良しだったのにどうしてこんなことに…」みたいな。

けれど、状況が変わることで人間関係が変わることは何もおかしいことではない。

むしろ「一度友達になったらずっと友達でい続けなきゃいけない」という考えかたのほうがおかしいのだ。

人が変わるのは当たり前だ。昨日までは「あれはいいよね!」と思っていたことでも、ちょっとした意識の変化で、もう「あれはだめだ!」とか言ってしまう。

それが人間という生き物である。

生きているのであれば変わることは自然であり、むしろ変わらないほうが異常なのだ。

それを「友達関係は続けないと…」という強迫観念じみた考えのせいで、自分を悩ませるような繋がりまでも断つことができなくなってはいないだろうか?

人間関係は状況により変化するもの

人間関係をいちいち重く考えている人が多いが、それは、「切り捨てる」という言葉に嫌悪感を持っているからである。

「切り捨てる人=人でなし!」みたいな感じだ。

しかし、先述したとおり、そんなのは価値観や環境が変化しただけに過ぎない。

なにも悩んだり騒いだりすることではないのだ。

そんなん一部のセンチメンタリズムを拗らせてしまっている人がギャーギャー言ってるだけである。

付き合いを続けたら不幸になる害悪人間もいる

最初は気づかなかったけど、よくよく相手のことを知ってみれば「こいつヤバイ」なんてケースもある。

腐ったリンゴではないが、一緒にいると自分に悪影響を及ぼす相手の場合でも、なかなか付き合いを切れない人がいる。

そこはスパッといかなければ、損するのは自分だということを覚えておいてほしい。

「友達」というものを美化しすぎないこと

ちょっと気持ちが悪いぐらい「友達」というものを尊い存在であるかのように考えている人がいが、そんなのは状況次第である。

続く相手とは続くし、続かない相手とはいずれ切れるものである。

友達という前に、相手はただの人間だ。

人間なんてコロコロ変わってなんぼの生き物なのだから「友達」を普遍的なものと考えるのは道理に合わない。

良好な交友関係を続けられるならそれにこしたことはないが、そうじゃないときはスパッといくほうが健康的である。

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発達障害者にとって孤独は良き隣人である

孤独は寂しい。孤独は辛い。孤独は怖い。

それは普通の人から見た孤独の一面にすぎない。

人が人と関わって生きていくのは当たり前、だってそれが人間社会というものだから。

けど、当たり前ができない私たちにとっては、人と関わるということがあまりにも苦行すぎて生きるのが辛くなる。

そんな私たちを守ってくれるのが「孤独」なのである。

そういえば、ここ十数年、寂しいという気持ちになったことがない。

おそらく私は、もうそれを感じることはないだろう。

コメント

  1. 匿名 より:

    参考になりました!