「発達障害は個性」なんて綺麗事が許されるのは子供まで!社会は受け入れてくれないのが現実

発達障害を個性というのは綺麗事だ! 考えかた

よく「発達障害というのは”障害”ではなく “個性”です!」みたいなことを言ってる人がいるのだが、そのたびに私は思う。

「発達障害が個性で許されるのは子供までだ!」と。

これは私が捻くれた性格をしていることを差し引いても。概ね正しい意見だと思う。

いや、発達障害の子供にいきなり「お前は障害をもっているから普通の人とは違うんだ!」なんて教えてしまうと、自尊心が欠落してしまうだろうから、言い方を考えなくてはならないだろう。

しかし、そこで子供に「君の発達障害は個性なんだから、普通の人と何も違わないよ」なんて嘘を教えちゃあいかんという話だ。

いくら言葉を取り繕っても、発達障害を抱えている以上は、出来ないことはできない普通の人とは違う、これが現実である。

発達障害によって社会に出てから苦労するという現実が変わらないかぎり「発達障害は個性だから普通の人と同じ」なんていうのは、何の根拠もないおべんちゃらである。

もしも私がそんなこと言われた日には「適当なこといってんじゃないよ!!」ブチ切れ必死である。

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「個性」という言葉は子供騙し!

最初にも言ったが、子供の自尊心を保つことは重要だ。

発達障害ある人間は、何かにつけて失敗を繰り返す人生を送ることになる。

そうすると「自分なんて…」と自虐的になちゃうと、もうなんもやる気が起きなくなる。
それはよろしくない。

しかし、だからといって、その子供が「自分は普通の人と同じなんだ」勘違いしたまま社会人になったらどうだろう?

最悪の極みである!!

大人になってから「実はあなたは普通の人じゃありません残念でしたぁっ!」なんて言われたところで、いきなりそれを受け入れることもできないし、今まで自分が普通だと思っていたからどうすればいいのかもわからない。

そんな酷い話はないのではないだろうか。

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「個性」なんて日和ったこと言ってないで現実と向き合う!

これは私自信が発達障害であり、これまでの経験から言えることだが、発達障害の人間が腐らずに生きられるかは、どれだけ早く自分の特性と向き合えるかという点が強く影響していると思う。

生きていれば、いつか必ず発達障害というでかい壁にブチ当たって痛い目に遭うだろう。

それは運が悪ければ子供の頃かもしれないし、運良く子供の頃は周りが寛容だったとしても、社会に出ればそうはいかない。

そのとき、自分を守ってやれるのは自分しかいないのだ。

自分を守るためにはどうすればいいか?

それは、個性という言葉を使ってうやむやにせず、自分が発達障害であり、できないことがあり、普通ではないことを受け入れることだ。

それは、自分を下卑したり、無気力になって投げやりに生きるということではなく、その上で自分に合った生き方を考えということだ。

いわば、発達障害者として生きていく覚悟を持つことこそが、発達障害者が生きる上で重要なのではないだろうか?