発達障害で完璧主義だと生きづらい!不完全な自分を許容しよう

発達障害という不完全を受けれる 考えかた

発達障害で仕事の失敗をしてしまったり、対人関係でトラブルを起こしてしまったとき、自分が嫌になってしまったことはないだろうか?

「どうして自分はこんな事もできないのだろう…」

「どうしてあんな事をしてしまったのだろう…」

後から自分の行動を後悔し、不甲斐なさに怒りを覚える。

この状態が酷くなると、些細なミスでも酷く自分を責めたり、どうせ何をやっても自分は失敗するのだと、無気力になってしまうこともある。

それを回避するのに必要なことは、自分が不完全な人間であることを許すことが必要だと私は思う。

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完璧主義で真面目な人ほど「許す」ことができない

完璧主義者は「こうあるべき」という決めつける考えに偏りやすい。

自分の中にある正しさに反することを許せないのだ。

例えば電車の中でマナーの悪い人を見かけると、過剰に怒りを感じてしまうのも、自分の中にある正しさから外れているものを許せないからである。

そして、それは自分に対しても同様で、仕事で失敗したときに正しくできなかった自分を許せないせいで「なんでこんな事も出来ないんだ!」と自ら自分を追い詰めてしまう。

本来なら理想に向かってプラスを生み出す向上心が、完璧主義のせいで焦りや苛立ちのマイナスを生み出してしまっているのだ。

不完全な自分を許容することができずに、失敗を繰り返していくたびに自信を無くし、やがて自分への失望感から失敗を恐れて、次への挑戦ができなくなってしまう。

人に対しても、完璧主義者は正しさばかりを追求しているせいで相手の気持ちを考えることができないから対人関係も悪化してしまう。

理想と現実の自分にギャップがありすぎる人は要注意

人は頭の中に”理想の自分”を描いている。

「自分はこんな人間になりたい」

理想の自分を目標にすることで向上心が生まれ、理想に近づくために努力をする。

しかし、人間は努力すれば必ずしも理想の自分になれるとは限らない。

極端な例だが、ペンギンが空を飛ぶ鳥を自分の理想とすれば、いくら努力をしようとも決して理想の”空を飛ぶペンギン”にはなれない。

自分を客観的に見ることができないと、そのギャップに気づかない。

努力で上手くいくこともあれば、どうしようもないことだってある。

本当に頑張っても駄目だったのなら、自分の姿を客観的に見直してみる必要がある。

他人と自分を比較する人は自己嫌悪に陥りやすい

記憶力がいい人や手先が器用な人など、能力は個々に差が出る。

他人と自分を比較してしまう人は、自分が出来ないことを他人が上手くやっているのを見るとすぐに劣等感を抱いてしまう。

しかし、自分の苦手な事で他人と競うこと自体ナンセンスである

そんなことしないで、自分の強みを生かせる場所で勝負したほうがいいのに、なぜか自分に不利な勝負をしようとする。

万能人間にでもなりたいのか?

人と同じになろうとしても無理な話だ。
「できない自分」を受け入れよう。そうでなければ劣等感に苛まれながら生きることになってしまう。

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出来損ないの自分を恨んでいた日々

私には子供の頃からできないことが沢山あった。

特に「覚える」という点で人よりずっと劣っていた。

自分の興味があること以外は全く覚えられないのだ。

人の顔や名前、地名、場所など、興味が持てずに心のどこかで「自分には関係ない」と思ってしまうのだ。

そうすると何度繰り返してもさっぱり覚えることができない。

覚えないと困るのに、覚えようとしているのに心の底では興味がない。

これは大人になった今でも変わらない。

他にも手先の不器用さも問題だ。

例えば習字をすれば、手が震えてまっすぐの線を描くことができない。

私の手は静止できずにすぐに震えてしまうのだ。

ただ真っ直ぐに線を引くという誰でもできることが出来ないのが、とても恥ずかしいし屈辱だった。

他にも紐を結んだりするのも下手くそである。

ハサミを使えばガタガタである。

「なんで自分は、こんなにもできないことばかりなのだろう…」

周りが当たり前にやっていることができない。
当時の私にとってそれはとても辛く、受け入れがたい現実だった。

「出来なくてもいいや」で心が軽くなった

大人になっても、たまにこうした場面に遭遇することがある。

「あなた不器用ねぇ」

昔はそう言われると、ひどく落ち込むか、カッとなって頭に血が上ってしまった。

それが今では「まあ不器用だからしゃーない」ぐらいにしか思わなくなった。

それは自分に出来ないことを認めたからである。

できないものはできないし、できることはできる。

当たり前すぎることだが、私のくだらない自尊心が邪魔をして、これを認めるのには非常に時間がかかった。

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「こうじゃなければいけない」という考えは捨てる

正しさにこだわりすぎてはいけないのだ。

正しくないことが許せない人は、自分の不完全さを許容できず、人に対しても正しさを押し付けようとしてしまう。

しかし、いくらあがいたところで、完璧な人間になることなんてできはしないのである。

「こうあるべきだ」とか「こうしなけれいけない」という決めつける考え方は、自らを生きづらくさせる呪縛でしかない。

まず自分を認めて許す

失敗することもあるだろうが、そこでいちいち自己嫌悪で頭を悩ませていては前に進むこともできない。

やってみて駄目だったら、結果と原因を分析して次に活かせばいいし、自分には無理そうなら「まあいいか、自分には出来ないことなのだ」と自分を許し納得するのが大事である。

他人も認める

自分よりできる人がいると自己嫌悪してしまうというのなら、他人を認めればいい。

邪魔なプライドは捨ててしまったほうがスッキリする。

「あの人はこの点に関して自分より優れているんだな」と認めてしまえばいいのだ。

他人を認めるのは自尊心を捨てることではない。

他人を認めるということは自分を認めるということである。

認めたうえで自分にできることをする

認めることは諦めることではない。

自分にできないことがあると認めたうえで、自分ができることをやる。

できないことがあるけれど、できることだってある。

自分にできることを精一杯やれば十分なのである。

良いところ悪いところ全部含めた自分のありのままの姿を認めること。
それが完璧主義の生きづらさから抜け出す方法である。

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