発達障害のせいで「人生詰んだ…」と絶望したときはどうするべきか考える

発達障害で人生詰んだと諦めてはいけない 考えかた

発達障害のせいで仕事がうまくいかず転職回数が増えるたびに「もう後がない…」という気持ちになる。

じわりじわりと崖に追い詰められているような感じだ。

「もし今の仕事が無くなってしまったら、もうどこにも雇ってもらえないかもしれない。そうなれば人生の終わりだ」と考えてしまう。

私はネガティブな人間なので、布団に入れば将来のことが不安になって眠れないということを繰り返してきたのだが、どうも最近はそれが少なくなった気がする。

これは前向きになったというよりも、いままで何度も失敗を繰り返してきたのに、いまだに「万策尽きたあぁっ!」という状況に陥っていないという結果が、私を楽観的にさせているようだ。

ブラック会社が辛すぎて働き続けるのはもう無理だと思ったときも「けど、今の会社を辞めたらどこも採用してくれないのでは?」という不安でいっぱいだった。

しかしまあ、なんとかなった。

と思ったら、また次の仕事でも上手くいかずに辞めることになり「今度こそもう終わりだ!」と思った。

けれど、まあなんとかなった。

ともったらまた次でも上手くいかず「今度こそ…(以下省略)」と絶望することを何度も繰り返しながら、私は今でものらりくらりと生きている。

状況が好転したというわけではない。
発達障害がなくなる訳でもないので、仕事の失敗もなくならない。

私はいまだに崖へと追い詰められ続けている。

しかし、毎回あと一歩下がれば崖から真っ逆さまに落ちてしまうと思っていたが、どうやら自分が思っていたよりも、崖までの距離は長いようだ。

安穏と生きていけるほどに好転もしていないが、絶望的になるほど悪い状況はない。

私は次第に「人生ってそう簡単に終わるものではないんじゃないか?」と思うようになったのだ。

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灯りが消えたら、別の灯りが点く

私の人生に対するイメージは広大で真っ暗な空間だ。
何も見えない暗闇のなかには、灯りのついた電球が1つだけぶら下がっているのだ。
私はその灯だけを頼りに進んでいる。

人生にもう後がないという考えは「もしあの灯りが消えたら、この真っ暗闇のなかで進むことなんてできない」と思うのと同じである。

しかし、じっさいに灯りが消えてしまい、真っ暗で途方に暮れた私が目にしたのは、違う電球の灯りだった。

不思議だ。
今まではそんなところに灯りなんてなかったはずなのに、今は確かに見えている。
そしてまた上手くいかなくて、今度はその灯りが消えてしまうと、また別の場所に灯りを見つける。

これは一体どうしたことか?
つまり、この真っ暗な空間には見えていないだけで沢山電球がぶら下がっているということなのだ。
しかもそれは、今点いている電球が消えれば、他の電球に光が灯る仕掛けになっているのだ。

「可能性」という灯り

この電球はつまり「可能性」である。
一つの可能性が消えたら、必死になって別の可能性を探す、そうして人は新しい可能性を見つける。

それまで見えていなかったのは、他の可能性に意識を向けていなかったからだ。
目の前のことで精一杯だったから、他の可能性を探す余裕もなかった。

けれど真っ暗になったことで、必死に新しい可能性を探すから、今まで見えなかった可能性が見えるようになった。

私はこれまでに職を転々としてきたが、どれも自分が就くとは思いもしなかったものばかりである。
あらゆる可能性を模索することで、予想もしていなかった可能性を見つけたのだ。

ものによってはうっすらとしか光らないし、それがどれだけ続くかなんて分からないけれど、とりあえず何も見つからないまま途方にくれたことはない。

もし真っ暗だと思うなら、それは灯りが小さすぎて気づいていないのかもしれない。
もしくは、灯りは見えているのに「あんなのは自分の求めているものではない」と見えないフリをしているのかもしれない。

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諦めて何もしなければ可能性は見つからない

今まで見えていた可能性が消えてしまうのは辛い。
いきなり真っ暗闇に放り込まれたら恐くて足がすくむ。
新しい可能性を模索しているときは不安になるのはしかたない。
「本当にまだ可能性はあるのか?」「もうダメなんじゃないのか?」と考えそうになってしまう。

しかしそれでも、諦めてもがくのを止めてはいけない。
諦めた時点で、本当はあるはずの可能性が見えなくなってしまう。

私も暗闇で試行錯誤しているときは精神的に苦しく。正直しんどい。
しかし、それでも最後には何かが見つかっているから、いまだに人生が終わることはなく、あくせくしながら生きている。

だから同じように暗闇で諦めそうになっている人は信じてほしい。
可能性は見えてないだけですぐそこにあるのだと。

私はいずれ崖から落ちるのかもしれないが、それはもう少し先のことになりそうだ。

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