他人が嫌いすぎで自己愛が強すぎる私!こんな生きづらい性格になった原因を考えてみた

他人が嫌いすぎる自己愛の強い私 人間関係

突然だが、私は人と一緒にいるのが嫌いだ。

他人と会わなきゃいけない用事があると憂鬱な気持ちになる。

これを人に話すと、大抵の場合「え〜大勢でいたほうが楽しいじゃん?」みたいなことを言われてイラッとする。

そう、他人と関わるとき、私は必ずといっていいほどイラッとした気持ちにさせられるのだ。

どうしてイラッとするかといえば“私の価値観が否定される”からである。

自分でも理解しているが、私の価値観は少数派なのだ。

多くの場合、私が「いいな」と思ったものは、周りからしてみたら「どうでもいい」ことなのだ。

そして、周囲が注目したり騒いだりしていることが、私にとってはなんの興味も持てないものなのだ。

サッカーのワールドカップで社内中の人が盛り上がっているときとか、ほんとにきつい。

普段サッカーに興味がないような人でも、何故かそのときは皆に混ざって盛り上がっているのが私には理解できない。

他にも少数派の価値観は、多数派に否定されるのが宿命である。

  • (私)一人で過ごしたい→(他人)大勢でいたほうが楽しいよ!(イラッ)
  • (私)恋人とか欲しくない→(他人)それって恋人ができない言い訳でしょ?(イラッ)
  • (私)散歩が好き→(他人)年寄りみたい変わってるんだね(イラッ)
  • (私)趣味とかない→(他人)生きてて楽しいの?(イラッ)

なんで会う人会う人に自分の価値観を否定されなきゃならんのじゃい!!

会う人会う人に否定されるのだ、そんなん他人と関わらないでいたほうがいいと思うにきまっとるじゃろうがい!

まずこれが、私が他人を嫌いすぎる理由の1つ目「価値観の相違」である。

そして次の理由として、そもそも私が他人に興味を持てないことと、他人の行動に苛立ちを感じやすいという点が挙げられる。

自己愛性人格障害な私

ぶっちゃけたことを言えば、私自身が自己愛性人格障害であり、それは下記のような人間である。

  • 他人に興味を持てない
  • 他人に興味はないが、他人から馬鹿にされるのは耐えられない
  • 他人が自分の思い通りに動かないと怒りを感じる
  • 他人の感情に共感できない

症状には個人差があり、何かのきっかけで一気に怒りが頂点まで達して怒鳴り散らす人もいる。

私は多少の自制はできるが、他人がちょっと気にくわない行動をすると、
「なんで正しく(自分基準)行動することが出来ないのだ!!」と心の中で苛立っている。これは非常にストレスが溜まるのだ。

まあ簡単に言えば、肥大化した自己中である。

これが第二の理由「強すぎる自己愛」である。

先天敵な特性と後天的な環境の結果の人間嫌い

ここまでの話でお察しの通り、私は医者にも診断されたアスペである。

いわゆる空気読めない人なのだ。これは生まれ持った特性、先天的な原因である。

しかし誤解しないでほしいのは、アスペだから人間が嫌いなのではない。

アスペはあくまでも、普通の人と違った感受性を持っているというだけである。

私も幼い頃は他人が傷つくと涙するような時期があったし、ひとりぼっちは寂しいと感じることもあった。

自己愛性人格障害は生まれつきのものではなく、後天的な症状なのだ。

そうなった原因として考えられるのは『子供時代の環境』である。

人間関係を切り捨てる習慣を身につけてしまった私

小学生の頃から親の転勤に合わせて1年スパンで転校ばかりしていたから、友達付き合いなんて「どうせ転校すれば縁が切れる」と判断するようになったことがある。

最初は泣きながら「友達と離れたくない〜」と嫌がっていた私も、3回目ぐらいになると「あ〜、また転校ね、はいはい」ぐらいなものだった。

これにより「他人と付き合いなんてどうせ一時的なもの」という価値観が備わったのだ。

これがのちに社会に出てからも「どうせ会社を辞めれば二度と関わることもない人たちだ」という考えに至った。

周囲に理解されず他人は自分の邪魔をする存在だと認識した

全てを親や周りのせいにするつもりはないが、はっきりいって私の親は指導者として全然ダメな人間である。

これは後述する問題にも関係することだが、子供の頃から私には出来ないことがたくさんあった。

そのたびに両親や他人から否定的な事をいわれ続けてきた私は、

他人とは私を攻撃するだけの、なんの助けにもならない存在」と認識した。

そうでもしないと、私のストレス許容量は既に爆発寸前だったのだろう。

発達障害がパーソナリティ障害を引き起こす原因になった

またぶっちゃけてしまえば、私は軽度の発達障害なのだ。

何をするにも不器用だし、他人の心が理解できない。
検査をしたわけじゃないが、正直その必要もないと考えている。
検査で障害があると判断されたから問題になるわけではない。

「出来ないことがある」のが問題なのだ。
障害認定されたところで誰も助けてはくれないのだ。

こうした経験により、発達障害者には、他人に対してのマイナスイメージが蓄積されやすい。

「他人といると自分を否定される」

「他人といると落ち着かない」

「他人には私を理解することなんてできない」

私の中には他人を拒絶する壁が出来上がったのだ。

しかし、だからといって社会の中で生きるには、人の群れに飛び込まなければいけない。
まさに地獄の釜である。

そこで自分を守るには、自己を肯定するしかない。

自分はこれでいいのだ。他人のいうことなんて聞く必要ないのだ。
私はそう思い込み自分を肯定し続けることとなった。

自己愛がなければ人生なんてやってられるか!

自己愛の鎧で他人に傷つけらられないようにする

他人に対して攻撃的になったりするのは、他人に対する不信感や敵対心が長い年月を掛けて大きく育った結果なのだろう。

それが自己愛性障害だと疎まれるなら、私はそれでいいと思っている。

もし私が他人の否定を素直に受け入れて育っていた、おそらく自分を何もできない存在だと思い込み卑屈で消極的な人間として育っただろう。

他人に押し付けられて枯れるぐらいなら、障害だろうが肥大化だろうがでデカく育ったほうがマシなんじゃボケェッ!!

こういうことである。

「自分こそ一番優先すべき人間」だと思わなければやってられないのだ。

他人と関わらずにいられるのが一番いい

自己愛性人格障害者にとって、一番の敵は他人である。
逆に言えば、他人と関わりがなければ心穏やかに過ごすことができる。

私は仕事を選ぶときも、過去の失敗を元になるべく他人と関わらずに済む仕事を選んできた。
更に言えば、「外の敵」より「内の敵」が厄介なのである。

外部の人間であるなら一時的に我慢できるが、内部の人間は自分と近い分、怒りの噴出が大きいのだ。

忘れてはならない。

自己愛が強い人を苦しめる一番の原因は「他人」だということを。

無理に性格を直そうとしても苦しむだけ、他人から離れるのが最善策

これが自分だとわかっていていも、人と会うたびに怒りを溜め込んでは生きづらい。

だから、これは自分の特性だからしょうがないとして、過去の経験を元に自分をより理解することに専念したほうがいい。

  • 自分がどういう時に怒りを感じるのか
  • 人と衝突してしまうのはどんな状況だったか

嫌な経験を思い出すのは辛いが、整理してみると、同じようなパターンで他人と上手くいかないことが判明するだろう。

つまり、その失敗するパターンを回避することを心がければ、不用意な怒りやストレスを溜め込まずにすむのである。

失敗は分析してこそ価値を発揮してくれるのだ。

結論:自己愛性障害は自分を守る鎧である

この自己愛という鎧がなくなったら、私は生きていけないだろう。
自己愛は私が社会で生きるために必要な鎧なのだ。

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