他人の行動でちょっとおかしな違和感があると「こいつ変なやつだなぁ」と敏感に察知できるものだけど、それが自分のことになると、人間てすごく鈍感だと思う。
そういう私だって、自分がおかしいという自覚を持ったのは、成人して社会に出てから仕事やら人間関係で失敗を何度も繰り返してからだ。
そこでようやく「あれ?もしかして私は普通じゃないのか…?」という考えに至った。
あまりにも遅すぎる”気づき”である。
気づいたところで、それが治せるかどうかは別にして、気づかないことには手の打ちようがないのだ。
今思い返してみれば、幼少のころから周りの子どもとは明らかに違う点がいくつも思い当たるのだが、それだって意識しているからそう思えるわけで、そうでなければ「ちょっと個性的だった」ぐらいの甘い認識でスルーしてしまっていただろう。
「自分のことは自分が一番分かっている」というが、客観的に自分を見ることができる人なんて、なかなかいないだろう。
鬱状態の人間が、自分が鬱になっていることを自覚しにくいように。
誰だって自発的に「自分はおかしい」なんて考えないし、見たくもない現実から無意識に目をそらしてしまうのもしょうがないことだ。
けれど、発達障害の人生は、いかに自分のおかしさに気付けるかで生きづらさは大きく変わってくると私は思う。
基準を認識しなければ、異常には気づけない
たいていの場合、自分がおかしいことに気づくのは外部から指摘されたときである。
しかし、知り合いに「お前ちょっとおかしいよ?」と言えるのは、よほど親しい間柄か、よっぽど無礼な人だけだろう。
普通はちょっとおかしいと思われていても、面と向かって言われることがないから気づけない。
(だからって陰でこそこそ言われるのは凄い傷つくから、それなら面と向かって言われたほうがマシな気がする)
おそらく、多くの人は書籍やインターネットの情報を見ているときに、たまたま「この症状に心当たりはありませんか?」というような、異常行動の事例を示されたときじゃないだろうか?
私も何気なく見ていたテレビ番組で発達障害が取り上げられていたのを見たのがきっかけであった。
自分では「これは普通のこと」だと思っていたことが、じつは普通の人からしてみたら「それはおかしいドン引きだわぁ」だったことにショックを受けた。
そこでようやく、ふつうの人と私の認識が大きくかけ離れていること、その”温度差”を感じたのである。
それまで、自分が人と比べて変わっていると思いながらも、それは普通の範囲内だと思っていたのが、蓋を開けてみれば、完全にアウトなやつだったわけだった。
アウトなやつが普通の人たちの中でじたばたしていたのだから、そりゃあトラブルも起こるわけだ。納得である。
自分のどこがおかしいのか見つめてみよう
異常は私の発達障害による特性であり、生まれついてのものだ。
もしもそれを悪だとしたら、私は生まれ持っての悪性人間になってしまう。
家にいるときなら、いくら一人でおかしな行動をしたとしても、他人に迷惑をかけていないなら、なんの問題はないわけだし。
けれど、ふつうの人たちに「おかしい人」認定されたら、社会では生きていけない。
だから外では、自分の行動が周囲にどう映るかを意識することが必要になるのだが、そのためにも、自分のどこがおかしいのかを知る必要がある。
私なんかは、思ったことを口にしては、その場を凍りつかせてしまうなんてことが頻発するせいで、今から自分が言うことで、相手がどう反応するのか、頭の中でシミュレートしてから話すようにしている。
まあそれでも半分ぐらいは変な空気になっちゃうんだけどね!!
ぶっちゃけ余計なことは喋らずに、沈黙していることが正解だとは思ってるのだが、人といるときの沈黙に耐えられず、なにか喋らなければという謎の強迫観念に逆らえない。
(こんなこと考えている時点で私はおかしいのだけど)
おかしい自覚のないまま傷つくよりマシだ!
自分がおかしいと自覚したとことで、自分がおかしいという現実は変わらないし、意識してもどうしようもないことはある。
けど分かってさえいれば回避することもあるし、逆に開き直って孤独に生きる決意をすることだってできるわけで…
(私はもう普通の人たちと一緒にいるよりも、一人でいたほうが人生捗るということに気づいたので、人間関係とか世間体はゴミ箱にポイしました)
自分が発達障害だと分かった後でも、自分のおかしいところ全てを自覚できている人って少ないんじゃないだろうか。
おそらく私の中にも、いまだ自覚のない「おかしい」が隠れているに違いない。
どれだけ早く自分の普通じゃないところに気付けるか、それが発達障害の人生では重要だと思う。
コメント
小学時代の、自分がどんなやつなのか分かっていなかった頃に戻りたい…
けど、道中の景色は違えど、同じ道に戻ってきちゃうんだろうなぁと
そうなんですよねぇ……自分のことを分かっていたとしても性能は変わらないので、失敗は回避できても成功への道はなく、結局は同じ結末に至ると、まあそういうわけですナ