余裕がない発達障害者だからこそ余計なものは捨てたほうが生きやすい!

余計なものは捨てたほうが生きやすい 考えかた

世の中には「たくさんもっている」ことが「善」みたいな風潮があると思う。

お金とか、友達の数とか、趣味とか、キャリアとか、まあいろいろ持ってることは良いことだ!みたいな。

だからみんな、こぞって色々なものを欲しがって挑戦しようとするわけだが、私のような発達障害者にとって、それは必ずしも良い結果にはならないのだ。

いや、色々なことに挑戦する姿勢は良いことだと私も思うし、普通の人であれば、それが仕事や交友関係を広げたりしていくのだろう。

しかし、それは本人に受け止められる容量があってこそのものだ。

あいにくと私は、物覚えも悪ければストレスに弱く体力もない。

同じ量の水をコップに注いでも、私のコップは普通の人に比べたらとても小さいので、当然ながら余った水は溢れてしまう。

そんな人間が色々なことに手を出しても、受け止めきれずにパンクして、結局は何も身につかず、全てが台無しになってしまうわけだ。

私のような発達障害もちは、あれもこれもと欲ばったらいけないのである。

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本当に必要なものだけを残す

「持て余すぐらいなら捨ててしまったほうがいい」と私は思う。

私たちみたいなのが普通の人を真似して、色々なものに手を出してみたところで、持ち前の覚えの悪さや不器用さを発揮してしまう。

物理的にも精神的にも、不要なものは持っているだけで重しになる。

使うことなく押入れの中で眠っているモノのように。

本当は重しに感じている人間関係のように。

「もしかしたら役に立つ」とか「いつかは必要になる」とか、そんな希望的観測は捨てたほうがいい。

ためしに1年間で1回も使わなかったものを捨ててみるといいだろう。

不要なものに占領されていた部屋の中はスッキリした。
(私の部屋にあったものの半分以上が不要なものだった)

無理して付き合っていた人間関係も捨ててしまえば楽になった。

結局それらは、本当は不要だけど、世間体とか見栄とかプライドのせいで捨てられなかったものだということである。

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捨てることで本当に必要なものがハッキリする

私たちは弱い。
普通の人に比べて、あまりにも脆弱だ。

ゆえに、時間も労力も、普通の人に比べたら限られているからこそ、本当に必要なものだけに注力しなくてはならない。

余計なことに囚われていては生きづらくなるばかりだ。

そのためには、不要なものはキッパリと捨てる判断をしなくてはならない。

捨てることで、自分が不要なものに縛られていたことに気づく。

不要なものを捨てるということは、本当に必要なものをはっきりさせるということだ。

今まで他のことに割いていた容量を、必要なことだけに使えるようになる。

私たちは、世間の基準に惑わされず、自分にとって本当に必要なものだけを握りしめて生きることが大切なのではないだろうか?

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