なるべく他人と関わらないように生きている私だが、職場の休憩時間とかが他の人と被ってしまうと、どうしても世間話をしなくてはならないときがある。
私は他人に興味がない。
いやほんと、誰がなにをしていようが、どーでもいいのだ。
けれど、普通の人のふりをしなくては社会では生きていけないので、表面だけは愛想のいいふりをしている。
だからだろうか、私は他の人からすると「話しかけやすい人」に見えるらしい。
さすがは私! さすがの演技力だ!!
しかしそれを知らずに話けてくる連中は本当に迷惑な奴らだ!!!
だから私は「やめろよ、話しかけてくんじゃねえよ!」
と、心の中で叫びつつも、適当に相手の話に相槌をうって関心したフリをする。
まあね、当たり障りない世間話ならまだいいよ、こっちだって相槌を打つぐらいするのはやぶさかではないよ。
大人ですから!
ただ、私はプライベートについて質問されると、かなり苛立つ。
「出身地はどこなの?」とか「趣味はなんなの?」とか「休みの日は何してるの?」とか。
「なんでテメエにそんなこと答えてやらにゃあならんのじゃい!」
と心のなかでキレている。
そんなのは、ただの世間話なんだから、適当に答えてやれよ、と思われるかもしれないが、私にはどうにもそれが納得いかない。
だって私は、相手の趣味だの休日の過ごし方だのに全く興味がないのだ。
そんな情報こっちは知りたくもない。
なのにどうしてこちらだけ相手が欲しがる情報をくれてやらないといけないのだ?
相手は私が知りたい情報を持ってないのに、こちらだけ情報提供するなんて、私が一方的に損をしているだけではないか!
というのが、私のロジックである。
さらに言えば、私の感性なんてマイノリティすぎて普通の人にはまず共感されない。
いままで相手の質問に対して正直に答えてやったとしても、逆にこっちの価値観を否定されるようなことしか言われた試しがない。
否定されるとわかっているのに、どうして私のことを話す必要があるだろうか?
私にとって、他人に自分の話をするということは、マイナスでしかないのだ。
そして他人の話なんて、私にとっては何の価値もない。ゼロである。
むしろ興味のないことを聞かされる苦痛を鑑みればマイナスである。
つまり、他人との会話は私にとってマイナスなのだ。
マイナス!
無価値どころの話ではない。
損失なのだ!
私にとって、他人との会話は百害あって一利なしなのだ。
というか、他人のことを知りたいと思う連中の気持ちが本当に分からない。
そんなどうでもいいことを知ってどうしようというのだろう?
他人との会話は人生において不要なものである!
コミュニケーションだなんだというが、世間話など人生には不要なものである。
他人の知識を得たいというなら本を読めばすむ話だ。
私は他人と会話をするだけでイライラしてしまうが、他人の書いた本であれば、まあまあ読む気になることもある。
そういえば徒然草にこんな一節があるのをご存知だろうか。
ひとり灯のもとにふみをひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。
適当に訳すと「ぼっちでも本を読んでいれば、それは過去の知識人たちの声をきくことであり、なんか世界も広がってく感じがするし、他人との交流とかマジいらんわ!!」ということだろう!たぶん!!
会話だけが他人とのコミュニケーションじゃないということだ、むしろ職場だのご近所だの狭くてちっぽけな範囲ではなく、古今東西の書物を読むということは、それこそ世界という広いスケールにおける交流となるんじゃないのかい!?
うーん、そんな気がしてきた!!
そこら辺りに転がっている有象無象の人間のことなんざ、知ったところでなんの価値があるだろうか?
そこに本を読む以上の価値があるだろうか?
いや、ないね。
まあ私は、長時間本を読むと頭がつかれるから読書もそこまで好きってわけじゃないのだがね!!
ちなみに徒然草の一節は、年末に仕事を辞めてから新年開けての一発目で面接した会社の近くにあった神社でなんとなく引いたおみくじに書かれていたものだ。
本を読んだわけではない!!
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