無理して普通の人と同じ生き方をしない。諦めることも発達障害の人生には必要だと思うのだ

普通を諦められない発達障害 考えかた

上手くいかないことだらけの発達障害人生において、諦めない心というのは大切だと思う。

けれど、諦めきれずに抱えてるモノを潔く諦めるということも、ときには必要なんじゃないかと思うのだ。

こんなことを書いてると「諦めるなと言ったり、諦めろと言ったり、どっちなんだよ!?」と思われるかもしれないので補足しておこう。

たとえば「もう人生無理ゲーすぎて生きるのだるい、もうやだ、なんもかんも全部どうでもいい!」という考えはまずいヤツである。

私も過去にそうゆう精神状態になったことがあるけれど、それで事態が好転したことなんて一度もなかった。悪いほうへ悪いほうへと転がっただけで、後になって「自分はどうしてあんなことをしてしまったんだ…」後悔することになる。

まず言っておきたいのは。
「自暴自棄な諦めをしてはいけない」ということだ。

それとは逆に、自分にとって重圧となっていること諦めることが、事態の好転につながることもある。

過去の私は、自分が発達障害だとわかっていもて、プライドや自尊心から「普通の人たちと同じ生活をしたい、無理をしてでも頑張らないといけない」といった感情が自分の首を締めてしまったこともあった。

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ペンギンが空を飛ぶ鳥にはなれない

この見極めは難しくて、いろいろやってみて失敗したりする中で学ばないとわからないことも多々あるだろう。

何もわからないまま「あれもできない、これもできない、きっとなんにもできない」では自暴自棄と変わりない。

けれど、やっぱり私たちのような発達障害もちには、無理して持たないほうがいいこともあると思うのだ。

どんなに頑張っても、できないもはできないし、辛いものはつらいのだ。

重圧を抱え続けながら生きていくのは辛い。

わざわざ重りを背負うようなペナルティを自分に課しているようなものだ。

手に入らないものを諦めることで解放される

先にも書いた通り、なんでもかんでも簡単に諦めるのもよろしくないが、発達障害をもって生まれてしまったという巡り合わせの悪さばかりは、本人がいくら努力したところで、どうしようもない。

それが世間一般では「皆がやってる普通のこと」であるとしてもだ。

「ふつう」「世間一般」に振り回されるより、いっそ手放してしまったほうが楽になることもある。

「楽をする」のと「怠惰になる」ことは違うのだ。

周りがみんな空を飛ぶ鳥でも、自分はペンギンとして生きればいいじゃないか。

空を飛ぼうと無理してがんばるよりもそっちのほうが全然よい。

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