他人に人格否定される発達障害だからこそ、共感できないことを否定するのはやめようと思った

人格否定される発達障害者 人間関係

発達障害やってると、なにかと他人から否定されることが多いものだ。

それはだったり職場の同僚だったり、ともかく色々な人から否定される。

やれ仕事で失敗したり長続きしなければ「やる気が足りない」とか「忍耐力が足りない」とか。

やれ人間関係がこじれたら「協調性がない」だとか「相手の気持ちを考えてない」だとか。

まあ色々と言われるわけですよ。

最初こそ「ああ、自分が悪いのか…」なんて謙虚な考えを持っていたけれど、私が発達障害のアスペであるかぎり、自分じゃどうしようもないことばかりだった。

それを全て自分のせいだと思っていたら、自分を肯定できない自虐思考の塊になってしまいそうだった。

そんなわけで、途中から否定してくる奴らを否定し返すスタイルに移行してみたわけである。

このほうが自分を肯定できなくなるよりは幾分かはマシである。

しかし、否定されたら脊髄反射で否定し返すスタイルも、結局は他人への恨みや憎しみやらが自分の中に溜まって精神的に不健康極まりない。

衝動を抑える機能が、使わなすぎてどんどん退化してしまうに違いない。

だから私はまたもスタイルの変更を余儀なくされたわけである。

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否定してくる相手に興味を持たないスタイル

これぞ今の私のトレンドスタイルである。

いや、本当は「否定されても受け入れるスタイル」とか言えればよかったのだろうけど、

ぶっちゃけそんなん無理筋である。

発達障害者が「もっと普通にしなきゃだめよだよ」と言われて「はい、そうですね!」なんてのは理屈に合わないのだ。

道理が通らないことを受け入れたところで、精神が善い方へ向かうわけがないじゃないか。

けど、否定し返すのも結局は自分の精神を悪い方へ向かわせてしまう。

だったら「見向きもせず、否定も肯定もしない」 というのが、私たちにできる最善策だと思うのだ。

だいたい同じ人間であったとしても、普通の人たちと発達障害の私たちでは、生き物として構造が異なっており、立場も価値観も違うのだ。

互いに意見を言い合ったところで、それは一方通行の押し付け合いにしかならず、そこに意味などありはしないのである。

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否定する人は「自分が正しい」と思い込んでいる

勘違いしてほしくないのだが、べつに私は自分の意見が正しいなんて思ってはいない。

私の言ってることなんて、普通の人たちにとっては間違いでしかなく、私に共感できる人だけにとって正しい意見なのだ。

逆に大多数の普通の人の意見も、発達障害者にとっては何も正しくない。

たとえ、発達障害者同士であったとしても、特性も違えば育った環境も違うので、意見なんていくらでも分かれしてしまう。

同調できない人間は反発し、同調できる人間同士が集まってできた集団が、別の同調集団に反発し、結果的に数が多い集団が相手を弾き飛ばして「俺たちの意見が正し!」と言ってるだけだ。

人の意見なんて、正しいから勝ったのではなく、勝ったから正しいことになってるだけで、私はそんなのに関りたくない。

否定しても肯定しても精神が悪い方へしか向かわないのであるなら、否定も肯定もせず見向きもしないというのが、今の私のスタイルだ。

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