発達障害の人生が虚しくて「なにもかもどうでもいい…」という心の隙間を埋める方法

やけになっても虚しくなるだけ 考えかた

発達障害の人生は波乱万丈である。

何かにつけて失敗がついてまわる。

上手くいかない人生に、虚しさを感じ続けていると、それが心に隙間を作ってしまうのだ。

そうなると、なんだかもう色々なことがどうでもよくなってしまい、心の穴を埋めるために、散財してしまったり、普段はやらないようなハッチャケた行動をするなど、逃避的な行為に走ってしまうことが多々ある。

かくいう私もそんな発達障害者の一人であるわけだから、自分の無力感とか上手くいかない人生を儚んで、夜な夜な繁華街に赴いていた時期があったのだ。

だから、逃避行動に走ってしまう人の気持ちはよくわかる。

「もうやってらんねえ!」と思ってしまうあなたに罪はない。

しかし、私の経験上言えることは「逃避的な行為は、その瞬間だけ他のことを忘れることはできても、後で余計に虚しくなるだけであるということだ。

私も過去に虚しさからくる行き場のない感覚により、なんぞ求めてフラフラしていたことがあったので、人のことを言える立場ではないのだが、いや、経験者だからこそ、今そのような心境になっている人に伝えておかねばと思った次第なのだ。

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一時的な逃避では虚しさをなくすことはできない

ぽっかり空いた心の穴を埋めるため、楽しいことを求めたとき、人はお金でそれを買おうとする。

確かにお金を払えば簡単お手軽にものが手に入るし、そのときは高揚感によって虚しさを忘れることができるかもしれない。

しかし、それは一時的に感覚を麻痺させているだけであり、心の穴は空いたままであるため、根本的には何も解決していない。

楽しい時間が過ぎれば、また寂しさや虚しさを思い出してしまう。

そうしてまた、虚しさを忘れるために逃避して、また我に返って、また逃避して、またまたまたと発作のように繰り返しいく。

それは麻酔のようなもので、なんども繰り返していくうちに効果は弱まり、麻酔をする間隔がどんどん短くなっていくので、やがては身の破滅である。

そうならないためにも、根本的に心の穴を埋める作業が必要となるのだ。

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やるべきことが見つからないと虚しさを発散できない

虚しさを感じる時、やるべきことが分からないのが一番の問題だ。

やることがないと人はお金を使って買ったり食べたりと、インスタントに幸福感を得ようと消費行動に走る。

しかし、残念ながら消費行動は一時的な麻酔にすぎず、根本的な解決にはならない。

虚しさを埋めることができるのは、生産的な活動だけである。

簡単に言えば「趣味」となってしまうのだが、必要なのは「向上させること」

小難しい言い方をすると自己超越である。

夢中になること、それが唯一心の隙間を埋める方法

もしも虚しさや寂しさから心の隙間を埋めたいと望むのであれば、あなたは自分の中に夢中になれるものを作らないといけない。

外側からではなく、内側から湧き出す熱で心に空いた穴を塞ぐのである。

そうすれば、あなたが抱えている虚しさと決別できるはずだ。

子供の頃は誰だって心の中に夢を描いていたはずだ。

あなたにも「大きくなったら◯◯になりたい!」と言っていた記憶があるのではないだろうか?

しかし、年を重ねるごとに、夢と現実の間に大きな壁があることを知り、いつの間にか「やりたいこと」ではなく「できること」をするようになっていく。

いや、それが一概に悪いと言いたいわけではない。
地に足のつかないまま夢だけ見ていては生きていけないし、目の前のことを一所懸命にやれる人ならば、その人生は充実しているだろう。

問題なのは「今がつまらない」と感じている人だ。

今をつまらないと感じていると、目の前の事にもやる気が出ないし、未来は今の延長にあるのだから、つまらない今を過ごしているうちは、未来に希望なんて持つことができない。

それじゃあ人生を楽しくするにはどうすればいいのかについて考えたい。

行動だけが虚無感を埋める

「目標を達成できなかった努力は無駄」だと思っていないだろうか?

そりゃあ、頑張った上で結果も出せれば最高だろう。
しかし、そうならなかったとしても、前を向いて歩みを進めていた人は、決して無為に時間を過ごしたわけではない。

「何もせずに目標に届かなかった人」と「頑張ったけど目標に届かなかった人」は全くの別物だ。

目標には届かなかったけど、前に進んできた人は、以前の自分とは違う場所に立っている。

「自分は行動した」それは自分自身が一番よくわかっていることであり、そこまで頑張れた人は決して人生をつまらないとは思わないだろう。

結果を出せないから人生がつまらなくなるのではない、何もしないから人生がつまらないのだ。

もう最終地点なんてどうでもいい。望んだ通りの夢を叶えられる人なんてほんの僅かしかないのだ。

多くの人は本来望んでいた場所とは違うところにたどり着く。

けれど、それは前に進んで頑張ってきた結果なのだから、それで満足できるものだ。

できるできないとか考えるよりも、まず進め、とりあえず進め、それがつまらない人生を抜け出し未来に希望をもつ唯一の方法である。

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やりたいことが何も思いつかない人へ

子供の頃を思い出してほしい、将来の夢を書いたことがあったはずだ。

色々な職業を思い浮かべながら淡い未来に胸を膨らませただろう。

それは現実を知らないからというよりも、自分に制限を持たないという点にある。

成長して大人になるにつれ、自分の能力を的確に判断できるようになる。
「自分にはできないことがある」ということを知ってしまうのだ。

しかし、自分の能力を知るということは希望を無くす原因ではない。

問題になるのは、できないことを知ることで、できないことしか見えなくなることだ。
するとどうだろう、今度はできることまで制限してしまうようになる。

何をしようとしても「自分にはきっとできない」という思考に陥ってしまう。
心の中にあるはずの希望を「制限」という重たい扉で閉じ込めてしまうようなものだ。

想像することに制限はいらない

大人だからワクワクできない?
大人だから現実をみる?

現実を見てワクワクすればいいではないか、途方もない夢物語だけがワクワクすることではない。
たとえ小さなことであっても、自分が何かをしようとすればワクワクは、希望は生まれるのだ。

大切なのは、なんでもいいから「やりたい」と思うことだ。
希望はそこから始まるのだ。

最初はやる気があるけれど、なかなか上手くいかなかったり、失敗してしまうと、途端にやる気がなくなって「どうせ上手くいかない、もういいや…」と投げやりなってしまわないだろうか?

それは仕事だったり、趣味だったり、どんなことでも続けていると、いつか壁にぶち当たってしまうものだ。

このとき、いかにモチベーションを落とさずに前を向けるかというのが重要になってくるわけだが、どうすればそれができるかについて考えてみようと思う。

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完全に止まってしまうことを防ぐ

行動でいちばんエネルギーを使うのは「起動」である。

例えば自転車を漕ぐとき、停止状態から動き出すためには足を踏ん張らないといけない。

最初がいちばん重くて、走り出してから速度が安定すれば、それを維持するのは比較的楽である。(もっと早く走ろうとしたら、更に踏ん張らないといけないから疲れるが)

スピードにのっていたのに、信号で止まってしまうと、また同じ速度に戻すのは疲れるものだ。

これはモチベーションにも言えることで、失敗や挫折によってモチベーションが低下したとき「もう疲れた、もう嫌だ」と完全に行動を停止してしまうと、行動を再開するためにはかなりのモチベーションを必要となってしまう。

行動が精神のバランスを支える

何もやっていないときは、休息しているように見えて実は精神的が不安定になりやすい。

自転車で走っているときはバランスが安定するが、急激に速度を落とすとフラついてしまうように、人の心にも安定しやすい速度域というものがあるのだ。

失意から完全に諦めてしまうと、行動によって支えられていた精神のバランスが崩れてしまい「もうどうでもいいわ!」と自暴自棄になってしまう。

投げやりな気持ちから抜け出すには、なんでもいいから何かすることである。

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高いモチベーションは必ず下がるときがくる

人間であれば、常にやる気を最高状態にし続けておくのは不可能である、失敗、挫折、予期せぬ出来事、そうしたものに直面すれば、どうしたって下がってしまう。

だとしたら、下がることはどうしようもないと割り切るとして、最低まで下がることは防ぎたい。

投げやりになったり、自暴自棄になったりというのは、モチベーションが最低になったときに起こるわけだから、最低の手前で食い止める必要がある。

そのためには、少しでも行動をし続けることを忘れてはいけない。

ほんの少しの行動が「まだ自分は全部を投げ出してはいない」という自信となって、あなたの精神を支えてくれるはずだ。

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