私は良好な人間関係を維持するのが苦手だ。
いわゆる、パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)というもので、他人を許容することができないせいで、何かあれば即座に繋がりを全部切り捨てたくなってしまう。
「友達たくさんいるぜヒャッホー」というパリピには信じられないことだろうが、私のLINEの友達数が2桁になることはまずありえない!
しかも、その数人の友達ですら定期的に入れ替わっている期間限定の関係であり、固定の友達というものは存在しない。
一時的に仲良くなることはあっても、大抵は途中で意見が合わなくなったりすれば、もうそこで終了である。
もう必要のない人間が友人リストに載っていること自体が気持ち悪くてしょうがないのである。
(友人を必要とか必要じゃないと考えてる時点で自己愛自己中の証拠なのだが)
たまに「もう人と関わるのはごめんだ!」と思って、友達リストを空っぽにすることもある。
(スッキリする)
こんな自己愛に満ちている私が縁を切りたくなる原因について考えてみた
相手に執着しすぎる
私は他人が嫌いなくせに、仲良くなった相手には執着してしまう癖がある。
執着することの何がいけないかといえば、相手のことを考えているようで、実際には自分の要望を相手に押し付けてしまうところだ。
そして、自分の要求が拒否されてしまうと「どうして私の思ったとおりにしてくれないんだ!」と自己愛が爆発してしまうのである。
これはいわゆる、相手との距離感がわからなくなっている状態である。
一人にフォーカスしすぎて、自分が相手のことばかり考えているのだから、相手も自分のことばかり考えてくれるという自分勝手な思い込みが生まれてしまうのだ。
少し冷静になって、現実の相手との距離を考えてみれば、相手の距離はもっと遠くに離れているはずなのだが、盲目的になっているせいで現実とイメージの距離にギャップが生じるという、自己中が成せる技である。
人からどう見られているのか気にしすぎている
私は他人がなにをしてようが全然興味がないけれど、他人が自分をバカにしているのが許せない人間である!
つまり、人の目が気になってしょうがないのだ。
他人のやることは本当にどうでもいいのに、他人の評価が気になるなんて、おかしな話だとは思うけれど、どうにも気になってしまうのだ。
他人から評価されるのがこのうえなく苦痛なのだ。
価値観の違いというのはどうしようもない。特に私の価値観に共感する人間なて殆どいないだろう。
けどまあ、それはいい、別に誰がどんな価値観でいてもいいさと思う。
しかし、人間というのは価値観の違う相手を悪く言うものだ。そういう生き物なのだ。
何度も言うが、私は他人から決めつけられるのが大嫌いである!
そこで私の中に潜む自己愛さんが悪さして「あいつ、今頃きっと私のこと悪く思ってるんだ! 許せない!!」と考えるように仕向けるのだ。
想像の中で相手から攻撃されているような気になり、現実の相手に対して、怒りや敵意を向けてしまう。自己愛爆発である。
人と会ったり連絡をすれば、そこから私の情報が伝わって「あいつはあーだこーだー」と噂されるに違いない!どし難し!考えるだけでストレスが溜まる!!
全部頭の中だけの妄想なのに、まるで現実で起こったような気持ちになるという、自己愛と被害妄想がコラボしちゃって大惨事である。
そういうときは、妄想を断ち切る為に、物理的に縁を切って、もう二度と会うことない自分には関係ない人にするのだ。
具体的に言えばLINEの友達リストを消去である。
相手を許せない圧倒的な心の狭さ
そもそも、相手が自分のことを常に考えているわけがないのだ。
私が頭のなかで怒りのシミュレートをしている間、相手は私のことなんて忘れて、のんびりテレビを見ているかもしれない。
相手は私のことを気にもしていなおに、一人で勝手に怒っているのだとしたら、さぞ滑稽なことだろう。
て、理屈じゃ分かってるんだけど、納得できないんだよネッ!!
それは私が「相手を許したくない」と心の底で思っているからだ。
「相手が許せない、憎い、不幸になれ」
これが、私の中で延々と怒りを生産し続ける憎しみの自己愛回路である。
自分でいうのもなんだが、こいつぁロクなもんじゃないな!
嫌な記憶を捨てたくなる
例えば仕事が上手くいかなくて辞めるとき、それまで関わってきた人との関係も切りたくなる。
それは「失敗」が会社だけではなく「人」にも結びついているからだ。
あなたも嫌なことを思い出したとき、その記憶には特定の嫌いな人が映っているのではないだろうか?
うまくいかなかった会社や仕事について忘れてしまいたい。もう関わりたくない。
そういう状況だと、その会社に属している人たちにも関わりたくなくなるし。
会社を辞めることに反対した周囲の人とも縁を切りたくなってしまう。
私のように嫌な記憶を捨てるためには人間関係も捨てるのが訓練された自己愛者である。
人間関係は切り捨てるべきか?
白黒つけずにグレーゾーンとして残すのもひとつの手だが、果たして自己愛性人格障害者にそんな器用な真似ができるだろうか?
白か黒ではっきり境界線を引かなければ納得できないのが、自己愛の人なのだ。
私の最適解は「苦しい人間関係はさっさと切り捨ててよい」である。
相手との距離感とか、自尊心とか、そんなに簡単に変えられるなら最初から苦労などしていないわけで、それで悩んで苦しくなるのなら、スパッ!と切り捨てたほうが健康的だ。
あなたがフォロワー数の数に幸せを感じるような承認欲求主義者でないなら、ちょっと考えてみてほしい。
本当に居なくなったら困る相手というのは、そんなにいないのじゃないか?
どうだろうか?
むやみやたらと、友達たくさんいればハッピーみたいな思考が蔓延している世の中だが、それが自分にも当てはまるとは限らないのだ。
誰とも繋がらずにいることで、心が平穏になり健康的に過ごせるという人間もいるのだ。
コメント