社会の大半はブラック企業で成り立っていると私は考えている。
そうしてブラック企業が食物にするのは社会的立場の低い弱者である。
つまり、私のような大企業とは無縁の社会不適合な発達さんは常にブラック企業が張りめぐらせる罠をかい潜りながら仕事を探さなければならない。
言うなれば捕食者が潜む密林で生きるために戦うさばいばー!である。
もちろん、大企業だからって全てがホワイトだとは思わないが、中小企業の中にはまともに契約も結ばない「これで会社とかマジか?」と疑いたくなるような、エスプレッソ並みにブラックを抽出しちゃってるヤバイ会社は増えてくる。
いやそもそも、メンタルに重大な脆弱性を抱えている私は、そこに人がいるだけでもう吐きそうになっちゃうのだから、私にとってのホワイト企業なんて多分この世に存在しないんだろうけどネッ!
それでもやはり、ブラック界隈にもブラック濃度というものがあるわけで、薄めのアメリカンコーヒーぐらいなら我慢して飲めるけど、エスプレッソなやつはダメだ、我慢すればこっちがダメになる(べつにコーヒー批判をしているわけではない、ものの例えである)
そんなブラック企業ばかりが蔓延る社会で、ボロ雑巾のように打ち捨てられてきた私には「会社なんてどこもブラックだ!」の精神が根付いているので、すでにホワイトなどという幻想を追い求めるのは諦めている。
どこでその会社をブラックとするかの判断基準は人それぞれ、賃金だったり拘束時間だったり、仕事内容だったりするが……
残念ながら、どこにでも理不尽な奴とか納得いかない規則とかは必ずある。
今の私のトレンドは「隠し味にほんのり香る程度のホワイト寄りなグレーな会社」を探すことだ!
不満はあるけど、まあなんとか我慢できる程度の会社。訓練された社畜からすれば「そんなのはブラック会社じゃない!社会を舐めるな!」と言われそうだが、お前らの社畜価値観なんざ知ったこっちゃないんだゼ!!
私たちのような弱者は、なぜブラック企業に騙されるのか?
誰だってブラック企業なんかで働きたくはない。
だから求人だって慎重に選ぶし、面接では会社の雰囲気をさぐろうと躍起になる。
けれど、それでもブラックの罠に掛かってしまうことを避けきれない。
私たちのような爪弾き者は危険察知能力が必要不可欠で、それがないと、あっさり淘汰されてしまう生き物である。
ゆえに必然的にそうした能力は磨かれるものだと思う、現に、求人の内容を見たとき「こいつぁきなくせえ臭いがプンプンするぜぇっ……!」と察知できることもある。
けれど、それが僅かに感じる程度で、さらに現状でお金に困っているなど、生活に余裕がなかったりすると、危険察知のアンテナには「なにかおかしい」という違和感が引っかってるのに、「早く仕事を見つけなきゃ生活が……」という気持ちが、危険察知の警告を揉み消してしまうのだ。
実際、私もなにかおかしい気がするものの「きっと大丈夫だ」と無理やり自分に言い聞かせて入社してみたものの、入社直後に面接では知らされていない労働条件を知らされて「ちくしょぉぉっ!やっぱりただのブラック企業じゃねえか! なんで私はあのとき慎重に選ばなかったんだぁッ!!」と己の軽率さを恨んだこともあった。
危険を感じたときは自分の直感を信じるべきだ
就職活動は体力を削られる、なかなか決まらないと精神的にも辛くなっていく。
だから目の前に「採用」という餌をぶらつかされたら、安易に飛びつきたくなるのは当然である。
けれど、そんなブラック企業に入ったところで、すぐに辞めて結局はまた無職になってしまうのがオチなのだ。
酷い目に遭ったことで社会に対する恐怖心が募り、新たに就職活動をする気力が湧かないこともある。
辞めるときにも一悶着するし、辞めた後に残ったのは疲弊した心だけ。まさに人生を損した気分である。
こんな失敗をおかさないためにも、自分の直感は信じるべきだと私は思う。
「今すぐ稼がにゃマジどうにもならんのじゃい!」という場面もあるかもしれないが、私たちにだって数は少なくとも選択する権利があるのだ。
「採用を決める企業が私たちを選ぶ」と思い込まず「どんなに立場が弱かろうと私たちだって会社を選ぶ権利はあるのだ!」ということを常に念頭に置いていきたい。
間違っても「仕事ってそいういうもんだよ」とか「君みたいな奴は他じゃどこも雇ってくれないよ」などと価値観や人格を否定して退職を邪魔しようとするフザケタ社畜共の言うことなんて鵜呑みにしちゃダメなんだゾッ☆
ふぅっ、過去を思い出したらすっげえイラついてきた!!コンチクショウがあああぁっ!!
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