発達障害の人は転職回数が多いという話を聞いたことはあるだろうか?
すべての人がそうだとは思わないが、私に限っていえば当たってる!まじでマジだぜ!
辞めたくなる原因は主に二つある。
- 仕事についていけない
- 人間関係が上手くいかない
この二つは相関関係になっており、まず発達障害を起因とする仕事の失敗。
作業の遅さや物覚えの悪さ、気をつけてもいても集中が切れてしまったり、うっかりミスしてしまったりなど、おおよそ普通の人には理解できない失敗をやからしてしまうところにある。
ここで問題になるのは、私たち発達障害者の失敗というのが、普通の人には理解されないという点だ。
たとえば、誰がやっても難しい仕事であれば「あ〜、その仕事難しいよねぇ、しょうがないよねぇ、HAHAHAHA!」と失敗が共感され許される。
しかし、普通の人なら誰でも簡単にできるような仕事で失敗すると「は?なんでそんなこともできないの?真面目にやってんの?仕事なめてんの?」とタコ殴りにされてしまうのだ。
これが辛い。
仕事が大変だから、休みが少ないからか、仕事を辞めたくなる原因は色々あると思うが、こうした失敗する理由が理解されないせいで、人間関係がうまくいかず、職場に居づらくなって辞めてしまうパターンが一番多い。
ただ失敗するだけならまだちょい凹むだけで我慢できる。しかし、それを人から責められるとマジ凹みである。
人だ、人なのだ、人が人を鬱らせるのだ。
できない理由も「発達障害の特性」なんて理解されない
仕事で失敗すれば「なんでできないの?」と聞かれる。
いやさ「そんなんこっちが聞きたいわ!」である。
発達障害が原因である以上「特性」としか言いようがない。
言ってみれば、私たちは生まれながらにそういう生き物なのである。
私たちは外面が普通の人と同じに見えるだけで違う種類の人間なのだが、それが理解されるわけもなく、普通の人たちにとって、私たちは「出来が悪い普通の人」なのである。
仕事ができないせいで職場の空気が辛くなる
会社というのは村社会だ。
狭い空間ではどうしたって周りの人と馴染まなければ、やっていけない。
しかし、仕事で失敗ばかりする人間は白い目で見られるか、遠まきに腫れ物扱いされるのがオチである。
自分のいないところで色々言われているのに、なぜか自分はそれを知っているよ?
なんでだろうね!?
みたいな。
いくら陰でなんか言っても、所詮は狭いコミュニティだ、どこからか自分の耳にも伝わってくる。
そんな職場に我関せずのうのうと居座り続けられるほど、私の心は強くないのだ!
だから会社を辞めて転職を繰り返すことになったところで、何もおかしなこともなければ悪いことでもない。
これは発達障害者の宿命!当然の帰結である!!
めんどくさい人と一緒に仕事をするのが苦痛
職場にはいろんな人間がいる。
一緒に仕事をするので厄介なのは、口うるさい、めんどくさい人である。
そういう人は他人の仕事のやり方や成果にいちいち口出ししてきては「どうしてこんなやり方したの!?」とか「なんでできないの!?」とヒステリックに声を上げるし、こちらの事情なんて知ったこっちゃないのだ。
人のちょっとしたミスにいちいち文句を言ってくるから、こっちも凹むしイライラするしで本当にロクでもない。
同じ仕事でも口うるさい人と一緒になると「げっ、こいつと一緒かよ…」と思うし、一緒にやるのが良い人だと、仕事が大変でも頑張れるものである。
(まあ相手も同じことを思っているのだろうけどね!)
人間関係が悪いと、たとえ自分の適性に合った仕事でも、その職場では絶対に長続きしない。
そのため、仕事内容よりも職場の人間というのはときに重要である。
できない仕事は無理して続けるものじゃない
仕事ができない理由が理解されずに会社に居づらい。
それを解決する方法は少ない。
まず、普通の人に発達障害である自分を理解してもらうなんて選択肢は無い。そんなのは不可能である。
じゃあ頑張って仕事ができるようになるという方法はどうかといえば、正直微妙なところだ。
発達障害と言っても、反復と学習によってある程度は能力の向上が期待できるが、問題となっているのが、発達障害の特性というコアな部分が影響している場合、努力の効果は極めて薄い。
これまでの経験から私が学んだことは、自身の特性に逆らってもいいことはない。
もっとも現実的な方法としては、ある程度は工夫や努力をして、どうにかやっていけそうならいいが、それでも無理だと感じたら、自分でも失敗しないような仕事を探すことである。
それはもしかしたら、本当に淡々と同じ作業を繰り返すものだったり、1日じゅうモニタを見続ける仕事だったりするのかもしれない。
はっきりって、普通の人たちは選ばないような仕事になる可能性も高い。
しかし、自分の精神を犠牲にしてまで普通の人と同じ働きかたにこだわる必要があるのだろうか?
私たち発達障害人がその普通とやらに付き合う必要があるのか。
私が言えるのは、本当に無理なときは、できない普通は潔く諦めた方がいいってことである。
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